映画の中の聖書<シーン6>



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chocolet

DVDジャケット(Amazon.co.jpより)

<ショコラ>

 キリスト教会の祝祭日としては救い主の降誕を祝うクリスマスとキリストの復活を祝うイースターが良く知られています。イースターの前の40日間を四旬節または受難節(レント Lent)と呼んでおり、断食、懺悔、減食や個人的な楽しみを断つ人々もカトリック教会の中にいます。今日の作品はこの時期に関係したものです。
 「ショコラ」(Chocolat 2000年 米国 監督ラス・ハルストロム)ショコラとはフランス語で、チョコレートを意味します。
 1950年代半ば、受難節のはじめにフランスの伝統と規律に束縛されている小さな町に、チョコレートを製造・販売するシングル・マザー、ヴィアンヌ(ジュリエット・ピノシュ)とひとり娘が赤マントに身を包み、吹きすさぶ北風の中やってきて店を開きました。冒頭のシーンで北風が教会の扉を激しく打つのが後述しますが象徴的です。伯爵でもある町長レノ((アルフレッド・モリーナ)は、店に近づかないように命令したので、町民たちは二人を遠巻きに見て、冷たい視線を送ります。ワンマンの町長は、母親に教会に出席するように言いますが、その態度はよそ者に対する非友好的なものでした。教会の若きアンリ神父(ヒュー・オコーナー) も教会の講壇からレントを守らない母と娘を間接的に厳しく裁きます。ヴィアンヌは町の人々に声をかけては店に招き入れ、チョコレートを一粒ずつプレゼントし、彼らの好みを見出します。チョコレートの甘さがかもし出す雰囲気に人々は次第に彼女に心を開いて行き、やがてドメスチック・バイオレンス(DV)に悩む女性や、孫息子に会うことを許されないでいる老婦人とも相談に乗り、友好的な関係が築き上げられるに至りました。さまざまな出来事が起こる中で、チョコレートがもたらす不思議な出会いが町の人々の心をほぐしていきます。苦々しく思った伯爵は、ある夜、彼女の店に忍び込み、作品を壊し始めますが、ふと手についたチョコレートを口にしたとき、禁じていた甘みを知り、そのまま倒れ込んで寝てしまいます。翌朝、伯爵のそのさまを見た店主のヴィアンヌは「内緒にしてあげるね」と優しく告げました。そこには裁きはなく、赦しがあったのです。この光景の一部始終を目撃していた神父のイースターのメッセージは、律法主義的ではない神の恵みを解き明かす全く新しいものと変えられていき、聞く会衆の顔も輝いて行ったのです。ストリーはまだまだ続きますが、それは見てのお楽しみとしましょう。

 ところで冒頭で触れた北風ですが、聖書の中では風は字義的にも比喩的にも重要な意味を持っています。東西南北の風は四方の風と呼ばれています(エレミヤ49:36)。
①東風はシロッコと呼ばれ、砂漠からの乾燥した熱風で穀物を枯らせますし(創世記41:6)、また旋風となって船を難破させます(詩篇48:7)。
② 西風は、アラブの人たちによって「雨の父」と呼ばれ、地中海からパレスチナ地方に湿気をもたらし、またいなごを吹き飛ばします(出エジプト10:19)。
③ 南風は穏やかで、船の航行にプラスになるものです(使徒27:13)。
④ 北風は雨をもたらし(箴言25:23)、リフレッシュさせます(雅歌4:16)
 比喩的には東風は神の審判を、西風は神の審判の除去を、南風は神による平安を、北風は神の愛を、それぞれ示していると言えます。
 イソップ物語「北風と太陽」に登場する北風は、旅人を寒さで震え上がらせますが、聖書の場合は違います。前述した北風は、伝統に縛られ、真の喜びを知らせていなかった教会の誤った姿を明らかに示し、扉と共に心も開くようにとの呼びかけととることが出来るのではないでしょうか。主イエスは「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くのかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」(ヨハネ3:8)と言われました。旧約の風と霊(聖霊)には同じことばが使われおり、新約でも風は聖霊のシンボルとされています(使徒2:2~4)。
  北風とチョコレートは、因習、伝統、おきてに束縛されている共同体を、赦しと恵みと喜びによって解放し、新しくする媒体としての役目を果たしたと言えるでしょう。
2001年第73回アカデミー賞で作品賞、主演女優賞、助演女優賞、作曲賞、脚色賞と五部門にノミネートされたこの作品は、必見の映画(must―see)です。

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