nakajima on 12月 4th, 2022

マタイによる福音書1章1~17節

新約聖書はイエス・キリストの系図によって始まる。編纂年からすればマルコ福音書が最初に来るべきだが、古代教会は300年に及ぶ時をかけてマタイを1番目と定めた。確かに多くの司教たちの手によることであるが、これは「神の摂理」であって、その意義に学ぶ。

家系図とは血筋を明らかにすると同時に、家柄、正統性、権威付けのために作成されることが多い。イエス様の系図においても、ユダヤにおいて完全数とされた七の倍数を基に、族長「アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代」と、この系図が神様の完璧な御計画の内にあることを明示している(ルカ3:23-37は逆にキリストからアダム、神へと遡り、この系図が神そのものであり、神聖の極みを示している)。

しかし、一方で系図に組み入れられている女性に着目すると、この系図が、単なる権威付けのためでないことは明かである。「タマル」(3節)は子がないことを深く憂い、娼婦を装って舅ユダとの間に子を得た人。「ラハブ」(5節)は異邦の地エリコの遊女である(ヨシュア記2:1)。

「ルツ」(5節)もまた異邦のモアブ人である(ルツ記1:4)。しかし、ルツ記においてすでに、ルツとボアズによって「オベド、エッサイ、ダビデ」とイスラエルに祝福が及んでいることが記されている。そして、「ウリヤの妻」(6節)とは、「バト・シェバ」のことであり、わざわざウリヤの妻と記すところに、いかにダビデ王であっても罪人の一人であることが示されている。決してこの系図がアブラハム一族、ダビデ王家の自慢のためのものではないことが分かる。

この系図はまさしく「救い主の系図」であって、その意義はアブラハムに告げられた主の祝福の宣言に顕わされている。「地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る」(創世記12:3)、「世界のすべての国民は彼によって祝福に入る」(同18:18)。主は確かにイスラエル民族を、その中からアブラハムを選ばれたが、最初からその祝福は「すべての氏族、すべての国民」と、全人類に及んでいることが明示されている。

上述の通り、系図は第一に「アブラハムからダビデまで」とあるが、そこには祝福の選びから、エジプトの地で奴隷となるも「荒野の四十年」を経ての再起、士師時代の苦しみを経てのダビデ王時代の栄光が込められている。

第二に「ダビデからバビロンの移住まで」とは、王国の分裂、滅亡、まさに地に落ちながらも、第三に「バビロンへ移されてからキリストまで」と再び祝福の頂点に導かれている。エルサレム帰還、神殿再建の恵み、その恵みに与りつつも、信仰の堕落によって「魂の救済」を失うという最大の暗黒に落ちてもなお、「世を照らすまことの光」、救い主の降誕によって、系図は祝福に始まり、祝福の頂点を極めるのである。

「マリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった」(16節)尽きることのない主の愛、イエス・キリストの祝福を宣べ伝えて参りましょう。私達もこの系図に入っているのです。ハレルヤ!中島 聡主任牧師

イザヤ書9章1~6節

早いもので2022年もアドベントに入ります。今期もクリスマスが始まって11ヶ月が経ったと言うことです。世間でもいよいよクリスマスシーズンとなり、クリスマスグッズが目に付くようになりました。

本日はイザヤ書の9章が与えられました。「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。」(イザヤ9:5)と語られました。

この預言はイザヤによって紀元前750年頃語られました。その時代の人々は、果たしてここで言われている「男の子」とは一体誰であろうか、預言者イザヤの子供だろうか、と考えたかも知れません。しかし新約の時代に生きる私たちは、ここで言われている「みどりご…男の子」は、当然主イエス・キリストである、と受け止めます。

このみどりごを私たちは証しします。真の救い主としてこられる主イエスのお誕生を知らせるため、共に喜び賛美をします。

私たちは当たり前のように、12月25日がクリスマスであり、クリスマスはイエス様のお誕生日であることを知っています。そしてお生まれになった主イエスが、私の救い主であると信じます。けれどもこの世においては、その救い主を知らずに歩んでいる人、あるいは自分には関係ない出来事であると思っている人がまだまだ多いのです。

たかだか一人のみどりご、赤ちゃんのことを知らなかったとしても、大したことはないのではないか、とも思えるかも知れません。みどりご、すなわち嬰児は、周りから守られなくては、親に守られなくては生きることも育つこともできません。その姿は全知全能である神さまとはあまりにもかけ離れていて、これが神さまがなしたもう計画だとは受け止め難いかもしれません。

けれどもそれは私達の救いのご計画のためであり、へりくだられる主イエスの姿でありました。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。」(フィリピ2:6−7)

私たちと同じように、いやそれ以上に貧しく、へりくだってお生まれになったのです。主イエスは家畜小屋の飼い葉桶にお生まれになりました。赤ちゃんが生まれるには到底ふさわしくない場所です。ましてや神様のひとり子がお生まれになるのに、全く整っていない、そんな場所です。

しかしそれこそ、この世に救い主が生まれたもう現実と言えるのではないでしょうか? この世は罪に支配されています。そのような世界はそもそも、神様のひとり子が現れるにふさわしい世界、整った世界ではないでしょう。それだからこそ、この世界は救いを必要としていますし、神様もそのご計画を成し遂げようとしてくださいました。この世に送られた独り子、救い主イエスさまのお誕生を喜びを持って待ち望みたいと思います。ハレルヤ!           片平貴宣牧師

nakajima on 11月 20th, 2022

列王記下25章1~12節

主が備え給うた「七千人」の民とその末裔によって擁立されたヨシヤ王によって南ユダ王国の信仰復興が達成された。神殿修復が行われ、主の律法、十戒の権威が回復され、過越祭も復活した。そして、バアル、アシェラ、モレク、ケモシュ、アシュトレト、ミルコム、あらゆる偶像と偶像崇拝の高台が取り除かれ、偶像の祭司たちは死刑に処され、天の万象に香を炊く者、口寄せ、霊媒、主の目に悪とされるもののすべてが一掃された。

しかし、残念ながらヨシヤ王がエジプトの王ファラオ・ネコに殺害され、ヨシヤ王の子ヨアハズが23歳で王位に就くと、彼は外敵の脅威に恐れをなし、「主の目に悪とされることをことごとく行った」(列王記下23:32)のであった。ヨアハズはエジプトに連行され、そこで息絶えると、ファラオ・ネコはヨシヤ王の別子エルヤキムをヨヤキムと改名させて次の王に据え、金銀の朝貢を課した。

エジプトの傀儡であったヨヤキムもまた「主の目に悪とされることをことごとく行った」(同23:37)。ヨヤキムはバビロン、カルデヤ、アラム、モアブ、アンモンに攻め込まれ息絶えた。

次にヨヤキムの子ヨヤキンが、わずか三ヶ月王位に就いたが「彼は父が行ったように、主の目に悪とされることをことごとく行った」(24:9)。そこにネブカドネツァル王が攻め込み、ヨヤキンをはじめ、家臣、高官、軍人、勇敢な戦士全員、鍛冶職人、国の有力者、エルサレムのすべての人々を奴隷としてバビロンに連行し、「残されたのはただ国の民の中の貧しい者だけであった」(24:14)。

ネブカドネツァルはヨヤキンの叔父マタンヤをゼデキヤと改名させて王に据えた。彼もまた「主の目に悪とされることをことごとく行った」(同24:19)。ゼデキヤはバビロンに反旗を翻したが時既に遅し、エルサレムは完全に包囲され食糧は尽き、飢えに苦しんだ挙げ句、城壁は破壊され、主の神殿、王宮、エルサレムのすべての家屋は焼き払われ、残りの民もすべてバビロンに連行されてしまった。ただ「この地の貧しい民の一部は、…ぶどう畑と耕地にそのまま残された」(25:12)。こうして北イスラエル王国に続いて南ユダ王国も滅びてしまったのである。

主は王国を与えられる時、初代サウル王と民に「あなたたちが主を畏れ、主に仕え、御声に聞き従い、主の御命令に背かず、あなたたちもあなたたちの上に君臨する王も、あなたたちの神、主に従うならそれでよい」(サムエル記上12:14)と言われたことに背いた結果である。しかし!主はエレミヤに託していた預言(エレミヤ書29:10-14)の通り、七十年の時を経て、ペルシア王キュロスを動かしてイスラエルの民をエルサレムに帰還させ、神殿を修復させ、「主の民に属する者」によって礼拝を再開させてくださったのである(エズラ記3:1-7)。アガペの愛をハレルヤと讃美しつつ、礼拝を守り抜き、主の福音に仕えて参りましょう!  中島 聡主任牧師

nakajima on 11月 13th, 2022

列王記下23章19~25節

ヒゼキヤ王が主に立ち返り、南ユダ王国は小康を得たが、その子マナセが12歳で即位すると「彼は主がイスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の忌むべき慣習に倣い、…バアルの祭壇を築き、アシェラ像を造った。更に彼は天の万象の前にひれ伏し、これに仕えた。…彼は自分の子に火の中を通らせ、占いやまじないを行い、口寄せや霊媒を用いるなど、主の目に悪とされることを行った」(列王記下21:1-6a)。弱冠12歳であったから最初は傀儡政権であったろうが、彼は55年間も王位にあって完全な背信に陥ってしまった。そして、その子アモンもまた「主の目に悪とされることを行った」。信仰継承の困難を思わされる。

しかし、アモンの子ヨシヤは8歳にて王位に就くと、見事にユダ王国の信仰復興を成し遂げ、歴代の王の中でも最も善王なる者となった(「彼のように全くモーセの律法に従って、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして主に立ち帰った王は、彼の前にはいなかった。彼の後にも、彼のような王が立つことはなかった。」列王記下23:25)。信仰の祝福の妙なるを思わされる。

実はアモンは家臣の謀反によって殺害されたが、その家臣を民が全て討ち滅ぼし、ヨシヤを王に擁立したのであった。この忠義なる民は、主がエリヤに「わたしはイスラエルに七千人を残す。これは皆、バアルにひざまずかず、これに口づけしなかった者である」(同上19:18)と告げられた者達の子孫と思わされる。

ヨシヤは「主の目にかなう正しいことを行い、父祖ダビデの道をそのままに歩み、…神殿を修理し…アシェラ像を主の神殿からエルサレムの外のキドロンの谷に運び出し、キドロンの谷で焼き、砕いて灰にし、…誰もモレクのために自分の息子、娘に火の中を通らせることのないようにした」(同下22-23章)。

そして、神殿修復の際に発見された「律法の書」の下に「過越祭」を復活させたのであった。過越祭は、自分たちがかつて奴隷であったにも関わらず主がエジプトの地から助け出してくださったことを覚えるものであり、さらには「荒野の四十年」を守り導き、再び「約束の地」に連れ戻してくださったことへの感謝、すなわち主の祝福と恩寵への感謝の礼拝を取り戻したことを現している。

ヨシヤは類い希なる善王であったが、彼を擁立したのは名も無き民であったことを忘れてはならない。主は信仰を守り抜くための助け手を「七千人」備えていて下さるのである。さらに「キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られた」(Ⅰコリント5:7)ことを覚えて、主の祝福と恩寵への感謝の礼拝を守り抜いて参りましょう。ハレルヤ! 中島 聡主任牧師

列王記下19章14~19節

BC721年、北イスラエルはアッシリア帝国によって滅ぼされてしまった。さらにイスラエル人男性は国外に追放され、代わりにバビロン他、異邦人を入植させ、イスラエル民族の薄弱化が謀られた(同17:24)。歴代の王が主に背き、民に偶像崇拝を強要した結果である。

北イスラエルの没落を目の当たりにした南ユダ王国のヒゼキヤ王は弱冠25歳で王位に就くと、「主の目にかなう正しいことをことごとく行い、…アシェラ像を切り倒し、…主がモーセに授けられた戒めを守った」(同18:1-6)。

そのようにしてヒゼキヤ王はアッシリアに立ち向かったが、その圧倒的な軍事力に屈してしまった。アッシリアはエルサレム神殿、王宮の金銀、宝物を奪っただけではなく、主を侮辱し、主に依り頼むことを止めさせようとした。(同18:29-32)

一度は敗北を喫したヒゼキヤであったが、アッシリアの冒涜に対して義憤をもって奮起し、預言者イザヤにユダ王国存続の道を求めた。イザヤは「アッシリアの王の…冒涜する言葉を聞いても、恐れてはならない」と、主の御心を教えた。

これを聴くと、ヒゼキヤは「イスラエルの神、主よ。あなただけが地上のすべての王国の神であり、あなたこそ天地をお造りになった方です。…わたしの神、主よ、どうか今わたしたちを彼(アッシリアの王センナケリブ)の手から救い、地上のすべての王国が、あなただけが主なる神であることを知るに至らせてください」と祈った。この祈りを聞かれた主は、イザヤを通して、アッシリアに対する勝利を預言され、その預言は成就した(同19:20-35)。

これにて安泰のはずであったが、ヒゼキヤは病に倒れると恐れにとらわれ、主に延命を祈りつつも、バビロン帝国を拠り所としてしまった。ヒゼキヤはバビロンからの使者に王国内の金銀財宝、貴重な香料、油から武器に至るまでのすべてを見せてしまい、この不信仰が後に南ユダ王国の滅亡への預言を引き出すことになってしまった(同20:12-18)。

列強による侵略、同盟国頼み、そして病…、聖書に記されていることは、今の世、今の私たちを現してもいる。主は恐れずに、主の「まっすぐな道」(詩編107:7)を歩むことを求めておられる。それは旧約においては「十戒」であり、新約においては「神愛、自愛、隣人愛」である。

創立75周年を迎え、世と教会の進み行く先は困難を極めると思われる。しかし、わたしたちは恐れることなく、創立者、先達の信徒の方々の信仰に倣い、「わたしの助けは来る。天地を造られた主のもとから」(詩編121:2)と信じ、主の道をまっすぐに歩んで参りましょう。ハレルヤ!             中島 聡牧師

nakajima on 10月 30th, 2022

列王記下5章9~14節

アラムの司令官ナアマンは勇敢で立派な人でしたが、どうしても治らない重い皮膚病を煩っていました。ある時、ナアマンの家で仕えるイスラエルの少女に教えられ、イスラエルへと旅だち、ついにエリシャの家にたどり着きます。しかしエリシャは直接会わず、使いの者に「ヨルダン川で体を7回洗うように」、と伝えさせました。

それを聞いたナアマンは怒りました。エリシャ自身が出てきて祈ってくれると思っていたからです。しかし家来達が彼をなだめました。物は試しと言われたとおりにすると、重い皮膚病は癒されました。ナアマンは、本当の神さまを知り、従うことを誓いました。

ここからは、神さまに信頼して従う大切さを示されます。もしナアマンが、エリシャの言葉通りにしなかったら、皮膚病は癒されませんでした。従ったから、神さまによる癒しが実現をしました。

体にも病気があり、心にも病気があります。その心の病気の一番やっかいなものは「高ぶり・罪」です。「自己正当化、自己中心」、そんな思いがあると、神さまの業は実現しません。ナアマンがエリシャの言葉に従った時、神さまの業が実現したように、私たちも神さまの言葉に聞き従いましょう。

そしてこの箇所は、救いの恵みも指し示します。ナアマンは癒しを求めてエリシャの元へやってきました。これは私たちにすれば救いへの求め、「求道心」です。そしては癒されるため、ヨルダン川に7度身を浸しました。これは「洗礼」であると言えましょう。

また、7度身を浸すのが癒しに必要でしたが、ナアマンからするとその行動はあまりにもあっけないことでした。もし癒されるなら全財産をなげうってでも癒されたい、とすら思っていたナアマンは、「その程度のことで癒されるはずがない」と感じたのでしょう。

私たちも罪赦されるために、洗礼を受けました。それらを比べるとあまりにもあっけないと言いましょうか、「え、その程度で良いの? 信じるだけで救われるなんてそんなうまい話があるわけない。」と思ってしまうことすらあるかもしれません。

受けた恵みに比べて、私たちの行いはあまりにも不釣り合いです。主イエスの救いの恵みを受け取るのに、ただ信じて洗礼を受けさえすれば良いなどとは、とうてい考えられないことです。

でも、それで良いと神さまは認めてくださるのです。私たちは本来救いに値しない存在でしたが、神さまは私たちを救いたいと願っておられます。そのため主イエスをこの世に送り、救いを成し遂げられました。私たちはそれを信じて受け止めるだけで良いのです。

その神さまの奇しき御計画で私たちは救われました。その恵みに応答をしたいと願います。ナアマンは真の神さまを信じ、異教の土地でも主なる神さまを信じ通すと告白をしました。私たちも信仰を守り抜きたいと願います。真の神さまへ、癒しの感謝、救いの感謝をいだき従い続けて参りましょう。ハレルヤ!  片平貴宣牧師

nakajima on 10月 23rd, 2022

列王記下2章8~18節

預言者エリヤの宣教に学ぶ。時の王アハブは「彼以前の誰よりも主の目に悪とされることを行った」(列王記上16:30)王であり、唯一の主なる神に背き、バアル、アシェラの偶像崇拝に心を奪われてしまっていた。そのため、イスラエルを干ばつが襲ったが、それでも王は悔い改めなかった。エリヤの働きはそのような時代に命懸けで王に進言することであり、干ばつ、飢饉の中、烏や寡婦に養われてでも生きることであった。

苦難の中、3年が経過し、神様はエリヤにバアルとアシェラの預言者と対決するように命じられた。敵は850人の大集団であるが、エリヤは唯一の主の権能により見事、天から火を降らせ、偽預言者たちを粛正、一掃することができた。これぞ、真の預言者の働き!と思えるが、聖書は、この後、たった一人のイゼベル女王に恐れをなし、逃走するエリヤの姿を克明に書き残している(列王記上19:1-18)。

キング牧師は黒人差別と戦う最中に「汝の敵を愛せよ」という説教をしている。「憎しみに対して憎しみをもって報いることは憎しみを増すのであり、すでに星のない夜になお深い暗黒を加える」ようなものであり、「憎しみは相手の人格も、自分の人格をも歪める。…憎しみをもって立ち向かうことによっては絶対に敵を除くことはできない。我々は敵意を取り除くことによって、敵を除くことができる。愛は敵を友に変えることができる唯一の力だ」と説いている。イエス様の「敵愛の教え」(マタイ5:43-48)、自らの命をもって「十字架によって敵意を滅ぼされた」(エフェソ2:14-16)愛を信じて歩むことの大切さを教えられる。

自死すら願うほどの自信喪失に陥ったエリヤであったが、御使いに養われ、「七千人」の信仰の徒を与えられ(列王記上19:18)、預言者としての再起を果たし、後継者エリシャを召し出したのであった。

アハブ王の死後もイスラエルは唯一の主に立ち帰ることができなかった。それでもエリヤは預言者として働き続け、遂に天に召し上げられていった。エリシャはエリヤにいつまでも師としていてくれることを望んだが叶えられなかった。エリコの預言者集団が五十人の兵士を動員して三日間エリヤの捜索を行ったが見つけることはできなかった。この時、エリシャは捜索に「行かせてはならない」と言っている。次代を担う自立、みずからも苦難の時代にあって主の預言者として生きていく決意が与えられたのである。私たちもやがて天に召し上げられる日が来る。その日まで主の僕として福音に仕えて参りましょう。信仰の継承が祝されますように。ハレルヤ! 中島 聡主任牧師

nakajima on 10月 17th, 2022

創世記1章1~4節

敬和学園の教育について、私が31年前に就職したときの印象を交えながらお話しいたします。私は率直に申し上げて、本当によい学校に就職できたと思いました。生徒は、授業をよく聞いてくれます。そして、何よりも、生徒は先生を信頼してくれている、そのことが驚きでした。当時は、行きすぎた管理教育が原因で、多くの学校が荒れていました。教師に対する不信感でいっぱいでした。ところが敬和に来ると全く違っていました。生徒と教師の間に、強い信頼関係が保たれていたのです。一つ前の時代にタイムスリップしたような感じでした。私は、なぜだろう、と考えてみました。様々な理由があると思います。やはり、毎朝の礼拝が大きいと思いました。創立以来、礼拝を本当に大事にする学校でした。当時、チャペルはなく、礼拝は体育館で行われていました。当時の体育館は、冬には雪が扉の間から吹き込んできました。しかし礼拝に対する姿勢は、生徒も教師も真剣でした。礼拝では、生徒と教師が並んで座ります。そして、聖書の言葉とお話しに耳を傾けます。正面には十字架があります。礼拝は、生徒と教師が、神様の前では対等な人間であることを、毎朝、確認する時間です。生徒と教師、学校生活でそれぞれの役割は違います。しかし、神様の前では同じ対等な人間です。そのことを確認して、一日を始めることの意味は大きいと思います。

それから、敬和には寮がありました。敬和が大事にしている教育を寮生がしっかり受け止めてくれていました。寮生には自分たちが学校の中心であり、敬和を作って行く。そのような気概が、先輩から後輩へと受け継がれていました。毎朝の礼拝、そして寮の存在。この2つがあったから、他の学校がどんなに荒れても、敬和は大きく揺らぐことがなかったのだと思います。

また行事が盛んなことにも驚きました。こんなに行事に真剣に取り組む学校があるのだろうか、と思うほどでした。敬和の行事の特徴は生徒が自分たちで作りあげる、という点です。自分たちが作ったものだから、それだけ思いがこもっているのだと思いました。生徒は行事の中で輝いていました。以上が私が就職した当時の敬和の印象ですが、それは今も変わっていません。大切に継承されています。

さて、毎朝の全校礼拝では、ときどき生徒がお話しをしてくれます。今日は昨年聞いた、3年生K君のお話を紹介します。彼が今まで一番、勇気づけられた言葉は、父親にかけられた「Kなら大丈夫」という言葉だと言います。父親は前年の秋、ガンで亡くなりました。「これから、何かにつまずいても、自分は父のこの言葉を思い出せば乗り越えられると思う。」彼は自信をもって話してくれました。

今日の聖書です。神様は「光あれ。」と言います。そして、それを良しとされました。これはこの世界を力強く肯定する神様の言葉です。

教育も、まず生徒を肯定することから始めなければなりません。教育は否定から入り勝ちです。「Kなら大丈夫」という父親の言葉が、これからの彼の人生を支えて行くように、敬和学園高校で受けた教育が、そしてそこで出会った神様の御言葉が卒業する生徒一人ひとりの歩みを支え続けるものであって欲しいと思います。 小田中 肇師(敬和学園高等学校長)

nakajima on 10月 9th, 2022

列王記上17:1~7

三大預言者(イザヤ、エレミヤ、エリヤ)の一人、エリヤの宣教に学ぶ。時の王アハブは「彼以前の誰よりも主の目に悪とされることを行った」王であり、「進んでバアルに仕え、これにひれ伏し」、首都「サマリヤにさえバアルの神殿を建て、その中にバアルの祭壇を築」き、「またアシェラ像を造り、それまでのイスラエルのどの王にもまして、イスラエルの神、主の怒りを招いた」王であった(列王記上16:29-33)。

そんな王に向かって信仰の道を説かねばならないとは、預言者の務めは大変なことである。さらに、王の背信によって、日照り、干ばつの預言(「わたしが告げるまで、数年の間、露も降りず、雨も降らないであろう」)をしなければならず、多くの民も、また自らも苦境に立たねばならないのであった。

もはや井戸水は涸れ、主はエリヤに「ヨルダンの東にあるケリトの川のほとりに身を隠せ。その川の水を飲むがよい。わたしは烏に命じて、そこであなたを養わせる」と言われた。

「なんと、有り難いお言葉!」 ん?有り難いだろうか?主の御用に仕えるとは、そもそも、大変なことという教えがひしと伝わってくる。この後もアハブ王が悔い改めないので、干ばつは続く。数羽の烏がエリヤに朝夕にパンと肉を運んできてくれたが、やがて川が涸れてしまい、烏も息絶えたと思われる。干ばつからの飢饉が襲いかかると、次に主はエリヤに「立って、シドンのサレプタに行き、そこに住め。わたしは一人の寡婦に命じて、そこであなたを養わせる」と言われた。

「なんと、有り難いお言葉!」否、全然有り難くない。主が養わせると言われた寡婦は決して裕福な人ではなかった。彼女は薪を拾っており、エリヤが「多少の水を飲ませてください、パンを一切れください」と願うと、彼女自身、残り僅か、最後の一食分しか持っておらず、それを食べたら子どもと死ぬ他ないという状況にあった。ここで主はエリヤに「尽きることのない壺の粉、瓶の油」の奇跡をおこさせ、寡婦と子どもを守られた(→五千人の給食)。しかし、その子は病となり、死んでしまった。

なんという悲惨な状況であろうか。王(イスラエル)の罪の故に、ひとり子が死に至ったのである。これ以上無い辛苦。しかし、ここにおいてエリヤが「その子の上に三度身を重ね」、「子は生き返った」という奇跡がおこったのである(→キリストの復活)。清水ヶ丘教会も焼け野原の中から誕生した。無から有を生じさせる主(ローマ4:17口語訳)を信じ、新たな福音宣教に仕えて参りましょう。ハレルヤ! 主任牧師 中島 聡

nakajima on 10月 2nd, 2022

詩編107:1-9

1947年9月28日、生糸検査所、現在の馬車道第二合同庁舎で、清水ヶ丘教会が「横浜ミッション教会」として開設した最初の聖日礼拝、エルンスト・ラング宣教師によって詩篇107篇が説き明かされました。

初めであり終わりである方、αでありωである方のご意志に変わることはありません。先輩方の信仰を記念するだけでなく、今も変わることなく主のみ体なる教会をたて続けてくださる神のご意志に与りましょう。大日本帝国による他国侵略どころか、この日本列島を失うほどの世界戦争から解放されたものの、多くの人々は「荒れ野で迷い砂漠で人の住む町への道を見失った」者のように、自らの歩むべき道を見失い、飢え、渇き、身も心も衰えるばかりでした。1945年8月15日、敗戦宣言後、どのような為政者の手続きがあったとしても、「主は苦しめる者の手から」「贖い」、散らされた者を「集めてくださった」のです。神がその慈しみのゆえに支払ってくださった贖いは「イエス・キリスト」です。

主は生きておられます。どん底に陥り、どんなに迷っても、そこから救いの道をお示しくださいました。 そのために、戦後敗戦したこの国に必要な力は、物質だけではありません。先達がたの福音宣教の力、希望と慰め、愛と支え合う力でした。インマヌエルの神はこうしていつもわたしたちのそばにいてくださったのです。

「まっすぐな道」、・・・主は、先達たちをとおしてこの行き詰まった横浜の地に在って、立ちあがり、歩み始める道を示してくださったのです。まっすぐな道・・・、主イエス・キリストに向かう「まっすぐな道」です。 教会は信徒によってたてられる共同体です。

「教会員の皆さん!あなたは、この清水ヶ丘教会にあって、その頭でいます主イエス・キリストの躰になっていますか?」主はここまで、75年間この群れに祝福に繋がる「まっすぐな道」を用意くださいました。さあ、きょうから始まる新しい節目の第一歩を、踏み間違えることのないように、初めの愛に立ち帰って「神のみことば」、「主イエス・キリストのみことば」を聴きつづけましょう。

神奈川教区巡回教師 島田勝彦