「そして、彼らに言われた。『わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。』」   マタイによる福音書26:38

 キリストの悲しみは、十字架の痛みに勝る苦しみでした。目に見えない、無意識のうちに潜み、気付かずにいる人類の罪、それ故に罪なしと豪語する人の愚かさ。悪を働かないまでも、なお己の自信や善意や信心、知恵や力にすがりつく人々。全ては神との断絶を生み出す元凶です。しかし、人はそれに気付こうとしません。むしろ自分こそは神に近い、神と結ばれていると思いこんでいるのです。そこに罪があります。
 イエスさまはその罪を知れば知るほど苦しく、悲しいのです。どうしようもなく、ただ負い込まざるを得ないこの罪の重荷。処断し、切り捨てることの出来ない愛を神は抱かれるが故に悲しみとなるのです。イエスさまは神の愛です。ですから、ご自身が滅ぼされ、呪いの木に架けられてもこの罪の中にいる人類を救い出すために、悲しみを負い続けてくださいました。
 わたしたちがこの主の悲しみを我が為なりと受け留めることが出来るとするなら、「ここを離れず」、イエスさまと「共に目を覚ましている」ことです。