「すると、盲人は見えるようになって、言った。『人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります。』」    マルコによる福音書8:24

 普段わたしたちは何を見て過ごしているでしょうか。「見ても見ず、聞いても悟らない」状態、さらには「見えると言い張るところに罪がある」と指摘されるようなわたしたちでなければと願います。
 そのためには、わたしたちも開かれなければなりません。開けていただくことです。すべての曇りを除き、すべて閉ざすものをうち払って正確に見聞きできることが大切です。その一番の目的は、神さまのことばを正確に聞き分け、主のご存在をはっきりと見いだすことにおいてです。この世に疎いことを恥じる必要はありません。主に出会い、主に聞くことにクリアな者になりたいと願うのです。
 往々にして、わたしたちも普段見えると思っているのは、この盲人が、「木のように見えます」「歩いているようです」と答えるレベルではないでしょうか。イエスさまの手に依れば、さらにはっきり見えるようになるのです。そのはっきりと見える目の前にイエスさまがいてくださいます。イエスさまが見るように、イエスさまが見抜くように目を開いていただきましょう。