「また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。」   マタイによる福音書9:36

 主イエスが目を挙げてみると、群衆はあたかも飼い主のいない羊のようであったと言うのです。「弱り果て、打ちひしがれている」・・・本来の意味は、「外敵を追い散らす羊飼なく、獣に追い回されてヘとへとに疲れ、あるいは皮をズタズタにされ、抱き起こしてくれる助け手もない状態」、と言うことです。イエスさまはそのような群集を見て、「深く憐れまれた」のです。
 キリストの「あわれみ」とはキリストの「腹痛」、「疝痛」(hurt of Christ)と言う本意です。古代の人々にとって「心」は腹にあると考えられていたからです。確かに悩みごとがあれば胃がしくしくと痛むという経験をなさった方も多いことでしょう。
 それはイエスさまに始まったことではありません。神から遣わされた代々の預言者たちが味わい、経験した神の痛みでもありました。
 ゲッセマネの祈りを経たキリストの十字架、ヨハネによる福音書3:16の中にもこの痛み、神のあわれみが証しされています。そこにこそ神の愛の発露があります。