「しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」 フィリピの信徒への手紙3:20

 「しかし」、なんと力強い言い回しでしょうか。これまで述べてきたことに勝って、行き着く答がこの言葉のあとに続きます。この文脈からすると、信仰告白にも相当する内容です。キリストの十字架と復活の真理にたどり着いた者が今どう生きるか、告白されています。信じ仰ぐ目標がとらえられています。その目標に向かって今の時をどう生きるか明確です。
 目標のない人生は、生きる手立てを見失わせます。希望がなければ前に進むことすらできません。約束がなければ喜びを見いだすこともできません。帰るべき本来の場所があり、自分が何者であるかを特定する保証があれば安心です。
 「本国(国籍)は天に」、救い主「イエス・キリストが来られる」、「わたしたちは待っています」。信仰は自らの所属を知り、救い主の到来を信じて待ち望む生活です。この信仰をもって多くの先達方は帰るべき故郷に凱旋されました。わたしたちはそのあとに続くのです。知らない道を行くのではありません。既に彼らによって跡づけられた道を期待しながらたどるのです。