「一行がガリラヤに集まったとき、イエスは言われた。『人の子は人々の手に引き渡されようとしている。そして殺されるが、三日目に復活する。』弟子たちは非常に悲しんだ。」 マタイによる福音書17:22~23

 山紫水明フィリポ・カイサリアから一変して、ガリラヤという弟子たちには日常の場所に帰ってきました。
 この間、弟子たちは、イエスさまが誰であるか直視させられ、栄光の姿に変貌された主を見る、という大きな節目を経験させられました。これまでにないイエスさまとの出会いは、その至福の中にいつまでも留まりたいとの思いに駆られるほどでした。しかし、山を下ってみれば、避けられない彼らの現実が待ちかまえていました。不条理に苦しむ人々を見、訴えを聞かなければならない日常生活がそこにあったのです。メシア/キリストは、神の子としての栄光に留まらず、進んで人の子となり、神信仰を失ったこの世に降ってくださいました。
 神のみ心に適うこの方に聞き、生ける神の子であるこの方に従ってこそ、その信仰告白が本物になるのです。この信仰がなければ、十字架を負い込むまでわたしたちの直中に身を寄せてくださる主を喜ぶことはできません。復活の勝利すら悲しみの中に見失ってしまうのです。