「そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。」        マタイによる福音書28:17

 聖書は正直です。イエスさまとの最後の都詣でとなったエルサレムからガリラヤに戻った弟子たちは指示された場所で復活のイエスさまに再びお会いすることができました。十字架の悲惨と恐れを忘れるほどに、歓喜と畏敬の瞬間でした。でも、疑う者もいた、と。
 キリストの復活はわたしたちの信仰が作り上げた幻影ではありません。こちらの状況に関わりなく主は生きてお出会いくださるのです。ですから福音の宣教もわたしたちの意思の発信ではありません。「天と地の一切の権能」を持たれる方が、その意思を発動され、あえてわたしたちを用いて派遣くださるのです。
 信じるか、疑うか、弟子たちの力量に依るのではありません。むしろ疑う者すら用いて遣わされる力のある方なのです。ですからキリストの使信は、世にどのような妨げがあったとしても、おのずから芽生え、成長し、実を結ぶ力があるのです。
 「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
 イエス・キリストの保証です。