「わたしは言っておく。『敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。…天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。』」

イエス様の教えは、時として、私たちに絶望をもたらします。素晴らしい教えと頭では分かっていても、体現することが難しいからです。「愛敵の教え」=「完全」、信仰の最高到達点とも言えます。

「富める青年」のように、イエス様の「完全」の教えはまさに至難の業です。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。」(マタイ19:21)「愛敵、無一文、そんなこと絶対無理」と拒むのではなく、自分の力ではどうすることもできないからこそ、主に祈るのです。

マーティン・ルーサー・キング牧師が命の危険も顧みず、黒人差別の撤廃のために身を捧げました。「将来いつの日か、幼い黒人の少年少女たちが、幼い白人の少年少女たちと兄弟姉妹として手に手を取ることができるようになるという夢です。」白人を憎むのではなく、共に「自由」という夢を実現するパートナー、愛する隣人として彼は祈り、実践し、公民権を勝ち得たのでした。その第一歩は、そして、その歩みをずっと支えるものは何でしょうか。それは神様の愛です。「完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ無に等しい。」(Ⅰコリント13:2)

清水ヶ丘教会は2015年度の宣教計画を定めました。これまでもずっと掲げてきた「370名の礼拝」を目指します。「無理かな」と思うかもしれません。 しかし、伝道がこれを成し遂げるのです。その原動力は、優れた神学でも、最新の手法でもなく、「一人でも多くの人にイエス様の福音を伝えさせていただきたい。そのために、私も信じて祈ります。」という愛なのです。「良い贈り物、完全な賜物はみな、光の源である天の御父より来る。」ハレルヤ!