族長ヨセフの生涯に学ぶ。ヤコブは、父と兄を欺いて財産を騙し取ろうとしたが、目論見破れ逃亡を余儀なくされた。しかし、神様の加護と祝福によって、困難の時を乗り越え、逞しく成長し、真の財産=家族みんなの祝福を祈り願う“族長”と成り得ることができた。「あぁ、よかった。幸せ。」となるはずだった。ところが、ヤコブには11人の息子がいたが、末子ヨセフを溺愛したので、兄弟に不和が生じる。 そもそもヤコブの苦悩の過去は「イサクはエサウを愛した。…しかし、リベカはヤコブを愛した」(創世記39:28)、この両親の偏愛と祝福の独占欲によるものであり、ヤコブもそれを分かっていたにも関わらず、同じ過ちを繰り返してしまった。
ヤコブのヨセフへの溺愛は、他の兄弟に憎しみを植え付け、もはや「穏やかに話すこともできなかった」程であり、後に、ヤコブの見た「二つの夢」によって、遂には殺意までも抱かせてしまう。
ある日、羊の群を世話する自分達のところに来たヤコブを見つけた兄達は、ヤコブの殺害を企てる。カインと同じ轍を踏むところであったが、すんでの所で長兄ルベンの進言により、ヤコブの晴れ着を奪って、井戸に投げ込み、後でイシュマエル人の商隊に奴隷に売り飛ばすことにした(かつてアブラハムの時、族長の本流から外されたイシュマエルの末裔に族長の子が売られるとはこれまた何という皮肉)。しかし、ミディアン人がやってきて、勝手にヨセフをイシュマエル人に銀貨二十枚で売ってしまった。そして、兄達は「ヨセフは獣に殺されました」とヤコブを偽るのであった。かつて自分が父イサクを欺いたように…。この罪の流れは、キリストに受け継がれており、私達の罪の全ては主によって贖われている、という大いなるメッセージになっている。
罪の闇に覆われた人の世であるが、ここからエジプト王朝をも巻き込んで救済史が展開するのである。主の御救いは何人にも止められはしない。