創世記41:25~36 ヨセフ物語のキーワードに「夢解き」がある。
一番最初の夢は、まだ少年の頃。二つの夢を解き明かした。「畑で束を結わえていると、《わたしの束》が起き上がり、…《兄さんたちの束》が周りに集まってきて、わたしの束にひれ伏しました。」、「太陽と月と十一の星が《わたし》にひれ伏しました。」(創37:7、10)これは、ヨセフがエジプトのNo.2に、族長になることを預言する素晴らしい夢解きであり、主に授かった賜物を遺憾なく発揮しているが、頼まれもしないのに、自分から言い出す辺り、謙虚、配慮の欠片もない。結果、せっかくの夢解きは憎しみ、怒りを買うだけになってしまった。賜物はひけらかすのではなく、《捧げるもの》と示される。
二番目は、奴隷に売られ、宮廷役人ポティファルの妻の奸計により投獄された時。同じく投獄された給仕役と料理役の夢を解き明かした。そして再登用される給仕役に「どうか、牢から出られるように取り計らって下さい」と願った。ヨセフは夢解きの見返りに自分の保身・利益を願ったが、給仕長は「ヨセフのことを思い出さず、忘れてしまった」。再び訓練、試練の時を過ごさねばならなかった。
二年の後!ずっと祈り続けたヨセフが、ファラオの前に立つ時が来た。王の見た夢をエジプト中、誰一人として解釈できなかったが、ヨセフは、見事、「七年の大豊作の後、その豊作をもっても国が滅亡しかねない七年の大凶作がやってくる」と、解き明かした。そして、解き明かしの対価を求めず、救国の策として「豊作の間、産物の五分の一を蓄え置くこと」を堂々と進言した。
ヨセフもまた、長い試練、訓練の時を経て、それでもなお共におられる主を信じる信仰によって族長として「練り上げられた」のである(ローマ5:3-5)。
イエス様は私達の救いを解き明かし続けられたが、誰も信じなかったので、十字架にて「御子の命」という最高の賜物を捧げて下さった。これぞ祝福の基!