マタイ26:26~30 「五千人の給食」においてイエス様は弟子の何たるかを明らかにされた。それはただ主を信じ、主に従うことである。

給食の奇跡は大群衆を魅了し、彼らはイエス様を王に祭り上げようとしたが、イエス様が引き続きその真意を説き明かされると、皆、去って行ってしまった。誰もイエス様を「神の御子」とは信じていなかったし、「世の罪を取り除く神の《子羊》=罪の贖いのために犠牲となる」ことが理解できなかったのである。

イエス様は十二弟子たちに「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。何という寂しい状況であろうか。

ペトロは「主よ、わたしたちは誰のところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」と気丈に答えたが、すでにユダは裏切りを固め、他の弟子たちも不安と恐れに駆られていた。

しかし、イエス様は「パンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与え」られた。また御自分の杯から飲ませられた。それは十字架において裂かれるイエス様の御体、信じる者すべての罪を赦し、永遠の命を与えるための契約の血であった。

主の弟子とは何たるか。信じ、従うとは如何なるか。それは主が御自身の命を代償として与えられる祝福(罪の贖い、永遠の命)をただ受けとることである。最良の葡萄酒、網破れんばかりの大漁、幾万人を満ち足らせたパンと魚。救い主とは与える御方である。「救いのために必要なものは全て備えて下さる!」と信じるのが弟子なのである。主は聖霊までも与え給う!(ヨハネ7:16)「わたしがあなたがたを選んだのだ」(ヨハネ15:16)。大いに祝されましょう。ハレルヤ! 主任牧師 中島 聡