ルカ23:32-43 棕櫚主日。「ダビデの子にホサナ!我らの父ダビデの来るべき国に祝福があるように。イスラエルの王に!」過越祭のために聖都エルサレムに集まってきた群衆は興奮の坩堝の中、自分達の衣服を道に敷き詰め、棕櫚の葉を手に振りかざし、イエス・キリストをメシア・救い主として熱烈に歓迎した。

しかし、その群衆は一週間もたたない内に、「イエスを十字架につけろ!」と大声で叫び続ける群となった。

かねてよりイエス様の殺害を計画していたユダヤの指導者の煽動があったにせよ、余りに酷い仕打ちである。

しかし、イエス様は黙って屠り場に引かれていく子羊のごとくに十字架に向かわれた。私たちの罪過ちを、一つの条件もつけずに、すべて身代わりとなって背負い、贖いとってくださる。これが主の十字架である。

その両脇に二人の囚人が磔られていた。一人は「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」とイエス様を罵った。もう一人は「イエスよ、あなたの御国においでになる時には、わたしを思い出してください」と未来への希望を告げた。するとイエス様はその人に「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と仰せになった。

十字架から逃れうる者は一人もいない。そこには確実な死が待っている。しかし、この者は信仰によって、主に語りかけたのである!何をしたのでもない、ただ祈ったのである。そして永遠の命が与えられたのであった。

十字架、それは私たち全ての者の宿命でもある。私たちは皆、少なからずの罪を背負い、やがて死を迎える。しかし、主を信じ、祈りをささげる者にとっては新しい命の始まり、希望となるのである。今日、愛する家族と共に祈りましょう。ハレルヤ!  主任牧師 中島 聡