ヨハネによる福音書6:26-33

イエス様は「五千人の給食」の奇跡によって、群衆の腹を満たされた。男だけで五千人(6:10)であるから、女性、子どもを合わせると数万人におよぶ大群衆であったと推測できる。これだけの大群衆が、「イエスが病人たちになさったしるしを見た」ので、集まってきたのであり、さらにイエス様がガリラヤ湖を向こう岸に渡られても、その後をついてきた人々である。確かに神癒の奇跡を耳にすれば、「すごい方が現れたものだ!」となるが、家を空けてまで、遠く離れた場所までついて行くだろうか。また、「過越祭が近づいていた」とあるので、当然、そちらに行って、犠牲の供え物を買うなり、準備するはずと思われる。この人たちは、病の癒しを切実に願う人々、つまり病を抱えている人、もしくはその家族であったのだ。そして、その日の食べ物も持参できていない人たちである。この人たちは、イエス様が「山上の説教」をされた時の群衆と酷似しており、イエス様の眼差しは変わること無く、貧しく、悲しく、苦しみにある人々に向けられていることが分かる。

他の福音書における「五千人の給食」では、「飼い主のいない羊のような有様」(マルコ6:34)の「大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人を癒やされた」(マタイ14:14)とある。そして、たった一人の少年の、たった一つの弁当という“献身”に対して、イエス様は「感謝の祈り」を唱え、その献身を「三十倍、六十倍、百倍」に祝福して群衆を満ち足らせられたのであった。

主の御業は誉むべきかな。しかして、福音宣教とは、腹を満たして終わりではない。それは荒野において、サタンが「石をパンに変えてみろ」と言った誘惑に屈することになる。

イエス様は、出エジプトの故事(荒野におけるマンナ)に遡り、御自身が、イスラエルの救済を導かれた神が遣わした「命のパン」であること、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる」(6:54)と、御自身の十字架の死によって、すべての人に永遠の命を与える救い主であることを告げられた。

残念ながらこの教えを聞いて、群衆も、多くの弟子たちも離れ去り、もはやイエス様と共に歩まなくなった。十二弟子だけが残った。そして、その十二人も皆、裏切り、逃げ去ってしまった。しかし、弟子たちは復活の主に出会ったので、全世界に福音を告げ知らせる者となり、今日、全世界に教会が建っている。主の「百倍の祝福」にハレルヤ!中島聡主任牧師