エレミヤ書36:27-32

「言葉が主からエレミヤに臨んだ。…残らず書き記しなさい。…それぞれの悪の道から立ち帰えるかもしれない。そうすれば、わたしは彼らの罪と咎を赦す。」(36:1-5)

ソロモン王以降、イスラエルの王は神に逆らい、王国は北と南に分裂し、BC722年、アッシリア帝国によって北イスラエル王国は滅ぼされてしまった。南ユダ王国も存亡の危機にあったが、主はエレミヤを通して、「神の言葉~救いのチャンス」を与えようとされた。

エレミヤは、神から与えられた預言の言葉を語り、書記官バルクがその全てを筆記した。纏められた巻物はヨヤキム王の前で朗読されることになったが、王は「三、四欄読み終わるごとに、ナイフで切り裂いて、暖炉にくべ、ついに、巻物をすべて燃やしてしまった」のであった。

救いのために差し出された手を振りほどくばかりか、その腕をへし折るような行為に対して、主はエレミヤに対して「改めて、別の巻物を取れ。…王ヨヤキムが燃やした初めの巻物に記されていたすべての言葉を、元どおりに書き記せ。」と命じられたのであった。(*イエス・キリストの十字架の死と復活)

この箇所における最もたる注釈と言えば、内村鑑三『後世への最大遺物』に記されている、19世紀イギリスの思想家、歴史家トーマス・カーライルによる『フランス革命史』の執筆譚であろう。彼は何十年とかけて革命史を書き上げたが、原稿を1日だけという約束で友人に貸したところ、友人の召使いが炉にくべて燃やしてしまったのである。さすがのカーライフも虚無に暮れたが、やがて「自分は愚人であり、あんな革命史など大したことはない。しかし、もう一度書き直すならば、それは貴いことであろう」と再び筆を執ったのであった。「信念は行動に移さなければ意味が無い。」カーライルは、内村だけでなく、新渡戸稲造、夏目漱石などにも大きな影響を与えている。

今日、倉持芳雄牧師召天30周年を記念する。倉持先生は、横浜ミッション診療所のために蒲田新生教会を辞されたが、「命のパン」を宣べ伝えるため、新たに教会を建てるにあたって苦難の中、「彼(アブラハム)は、望むべくもあらぬ時になお望みて信じたり。」(ローマ6:14*文語訳)との信仰を、会堂用地を探し抜く、土地管理人の戸を叩き続ける、という行動に移された。また、多くの青年信徒たちも祈りに祈り、バザーを開き、手製のぬいぐるみを売り、開墾に汗を流した。信仰とは、次の世代のために神の言葉を信じて自分を献げ、伝道すること。“言(ロゴス)”は神御自身、永遠の命、人間を照らす光である(ヨハネ福音書1章)。我らは何があっても語り継ぎ、その信仰を実行に移す者である。ハレルヤ!中島 聡主任牧師