創世記1:27-2:3

人間が被造物の最高位にあることの象徴として火を扱えることが挙げられる。その原因譚として、ギリシャ神話「プロメテウスの火」では、動物に牙や角や、翼やエラを気前よく与えたのは良いが、人間に与えるものが無くなってしまい、闘神・知恵の女神アテナに相談したところ「火を与える」ことになった、とある。続きでは、これを知った主神ゼウスが激怒して、プロメテウスを山上に磔にし、鷲に肝臓をついばませて絶命させ、しかし夜の内に再生し、また鷲に肝臓をついばませる…、という残酷な処刑を科したとある。

聖書では、唯一神なる創造主が、最初から人間を「神に象(かたど)り、神に似せて造られ」、「命の息を吹き入れ」て、「生きる者」とされた。そして、牙や角によってではなく、「彼らを祝福して」、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」と、この地を従わせ、他の被造物のすべてを支配する力をお与えになったとある。さらに、「全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべて与え」られた。

無論、火を扱う力も神は人に与えられたが、それはうっかり八兵衛で与えたのではないし、火どころではなく、神は自らの息、すなわち聖霊を与え、人を完全なる祝福の内に創造され、すべてを与えられたのである。ただし、「『善悪の知識の木』からだけは、決して食べてはならない」と、ただ一つの戒めが課せられた。

「善悪の知識」とは、単なる物事の判断、善悪の区別ではない。人間社会において、「これは善、これは悪」と判断し、区別することは大切なことだが、神にしか為し得ない『最後の審判』を下すことは許されていない。

人は、神から与えられた祝福と力をもって、確かにこの地を従わせ、被造物の最高位に立っている。その英知をもって核兵器を所有するまでに至った。凄まじい力を手にしている。しかし、人には、「これが悪だ」と断じて、最後の審判を下してはならないと戒められている。核兵器の投下は決して人間が踏み込んではならない領域なのである。

神は、人に与えられた祝福がすべての人に行き渡ることを願っておられる。それには、『第七の日』、神が安息され、すべてを祝福し、聖別された日を覚えて、主日礼拝を守り続ける必要がある。礼拝において、神の息・聖霊を受け、この身に祝福と聖別を受け、創造の御業を再確認し、「主の平和」をこの世に実現していくことができるように祈り求めていくのである。主の祝福は完全であり、主によって

伝道の力は与えられている。ハレルヤ!中島 聡主任牧師