創世記3:1-7

神様は、私たちにそれぞれ向き合い助け合うために、隣人を与えてくださいました。それは神様が望む、愛の共同体つまり神様の国をここで感じるためです。ですが、私たちはエバが蛇のせいにしたように、アダムがエバのせいにし、神様のせいにしたように、自己保身に走り、自己中心、自己愛を捨てきれません。それは、イエス様を信じていても、起こることです。自分を大切にすることは素晴らしい事です。なぜなら自分自身も神様の創造物なのですから。

ですが、自己中心というものは自分を愛し、受け入れることではありません。自分だけが得する、楽することばかり考え、神様の被造物である隣人、他者をおとしめます。それは自分自身だけで生きようとする、自分の人生は自分だけのものと考える人の弱さからくるものです。

けれども、人は独りでは生きられません。アダムもそうでした。だから、神様はエバという向き合う相手、パートナーを与えて下さったのです。つまり、私たちはもともと、自分だけのために生きるようには造られていないということです。自分を差し出す理由、愛する人に向かって生きること、他者のために生きることによってはじめて私たちは人として生きられ、満たされるのです。自分の命は隣人、他者があってこそのものです。

イエス様はそのご自分の命を私たちのために差し出してくださいました。それは究極の愛の形です。そして、それこそがまさに人としての生きる意味であることを示してくださっているのです。イエス様を信じ、イエス様を通して神様に出会い、そして、イエス様のように隣人のために生きること。それがまさに永遠の命を与えて下さるイエス様の道なのです。それは、時に苦しいものかもしれません。

ですが、自分だけのために生きる虚しさは死を招きます。時に苦しくとも、隣人と共に生き、神様の愛によってこそ私たちはこの命を生きる者へとなるのです。  田中尚美伝道師