士師記7:9-15

イスラエルの士師に選ばれたギデオンの使命はミディアン軍との戦いに勝利することであった。旧約聖書にはイスラエル対諸外国(敵、異邦人、偶像崇拝者)との戦記が延々と綴られているが、そもそも「人類はアダムとエバから」ならば、「血の繋がった人間同士の争い」ということになるし、アフガニスタンの状況を思えば、「聖戦」をそのままに受けとめることはできない。

ミディアン人の祖先は、聖書によればアブラハムとケトラとの間の第4子ミディアンとなっている(創世記25:1-2)。また、兄達の怒りを買って井戸に投げ込まれたヨセフを引き上げ、イシュマエル人の奴隷商人にヨセフを売り飛ばしたのがミディアン人である(創37:28)。また、モーセの伴侶ツィッポラはミディアン人の祭司エトロの娘である(出エ2章)。

“人類皆兄弟”にも関わらず、“聖戦”が記されているのは、人類にとって一番大切なのは、血筋でも民族でも無く、唯一の神を信仰し、自分を愛するように隣人を愛する(神愛、自愛、隣人愛)ことへの反面教師として学ぶ必要があるからと受けとめる。

ギデオンは、ミディアン軍と戦うために3万2千人の兵を集めた。しかし、主は「あなたの率いる民は多すぎるので、ミディアン人をその手に渡すわけにはいかない。渡せば、イスラエルはわたしに向かって心が驕り、自分の手で救いを勝ち取ったと言うであろう」と言われ、「恐れおののいている者は帰らせる」よう命じられた。すると1万人が残った。主はまだ多すぎるので、前方に注意をはらいながら手ですくって水をすすり飲む者だけを残せと言われた。すると300人が残った。

ミディアンの正確な軍勢の記載は無いが、士師記7:12「ミディアン人、アマレク人、東方の諸民族は、いなごのように数多く、平野に横たわっていた。らくだも海辺の砂のように数多く、数え切れなかった。」、8:10-11にミディアンの王ゼバとツァルムナは「約1万5千人の軍勢を率いてカルコルにいた。…剣を携えた兵士12万が既に戦死していた」とあるので、少なくとも13万5千の大軍であった。これに対しての300人である。酒樽に身を隠し、奇跡の印を二度も求めたギデオンとは想像できない。主を信じ、主が共におられることを信じた時からギデオンは勇者となった。またこの300人も、誰一人逃げ出さないとは真の精鋭と言える。この後、主の御力によってイスラエルは勝利を収めることができた。

福音伝道に仕え、教会施設、設備を守り維持していくためには一人でも多くの力が必要なことは言うまでもない。しかし、無くてならぬ唯一は主であり、主が共にいてくださるという信仰である。幾ら数があろうとも、“自分の力”と驕り高ぶっては意味が無い。

いかなる艱難試練に対しても、求めるは奇跡ではなく、主が共におられると信じる祈りと、主によって必要は満たされ、この試練を乗り越えることができると主の御名を誉め讃える感謝の讃美である。「主は世界中至るところを見渡され、御自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる。」(歴代誌下16:9) 主に祈り、主の御名を讃美しよう。ハレルヤ! 中島 聡牧師