士師記16:22-28

本日は士師サムソンに学びます。聖書には12人の士師が登場しますが、その最後の士師がサムソンとなっている。士師とは、いったい何であったのか、私たちが学ぶべきは何であるのかがここに記されているわけです。

ギデオンの時代、イスラエルはミディアン人におびやかされていたわけですが、今度は、サムソンの時代は、ペリシテ人の脅威に晒されていた時。なぜイスラエルはこんなにも外敵の脅威に晒されるのか?

全ての原因は、聖書にはっきりと記されています。

イスラエルが「神の目に悪とされることを行った」から、すなわち自業自得なのですが、それでも神は「選民」自らが選んだ、契約の民、私が祝福すると約束されたイスラエルの民を守るため、祝福の契約を遂行するために士師を立ててくださった。

ここに士師のなんたるかの第一があります。

神は、私たちを罪の故に滅ぼされるのではなく、たとえ罪があろうとも救いの御手を差し伸べ、罪からの悔い改め、救いと祝福に至るチャンスを、助け手を与えて下さるということです。

そして、士師が12人ということは、士師が何を意味しているのかの結論部分になりますが、先に触れておきます。12は完全数を現しており、人数、回数ではなく、神は、私たちに完全な助け手を与えてくださるということです。ですから、士師記、士師とは、先ずもって神の恩寵の許にあることを覚えるわけです。

さて、ではもう少しサムソンを出生から掘り下げて、その恩寵、恵みの深さに触れていきたいと願います。

サムソンの誕生は、アブラハムの祝福に続くことを象徴しています。アブラハムになかなか子が与えられなかったように、サムソンの父マノアと、その妻の間にも子がいなかったのですが、主の御使いによってサムソンの誕生を告げられ、この世に生まれてきました。

サムソンは祈りによってナジル人(神に献げられた子)として育てられました。彼の両親が敬虔な信仰者であったことが分かる。両親の祈りの中で、(士師記13:24)「主は彼を祝福された」とある。

しかし、サムソンは何故かペリシテ人と結婚することを望んだ。両親は、なんたることか反対した。 

両親、サムソンは、ダン族の者であって、十二部族に嗣業が分割された時、そこはペリシテ人の土地であり、ペリシテとは因縁の関係と言える(士師記18:1によれば、ダン族の定住は、ペリシテ人によって上手くいかなかった)。

ですから、当然、両親が反対したわけです。この結婚に反対したのは、両親だけではありません。

当然、ペリシテ人も面白くない、そのサムソンが結婚の宴席で謎かけをしかけてきて、それが解けないので、ペリシテ人たちは、新婦に謎ときの答えをサムソンから聞き出すように脅しました。

秘密を語ったサムソンが悪いのですが、この結婚はたちまち立ち消えとなりました。

しかし、暫く時が経ち、再びサムソンはガザに住むペリシテ人、デリラを愛するようになった。そして前回同様、ペリシテ人はデリラを籠絡してサムソンを殺めようとした。

デリラは領主から「我々は一人一人お前に銀千百枚を与えよう」(士師記3:3によれば領主は5人だから銀7500枚)と言われ、サムソンを売り渡すことにした。

サムソンは、前回は、なぞ解きの答えを言ってしまっただけなので、無事であったわけですが、今回は三度目の誘惑、泣き落としに根負けして、ナジル人の証である「七房の毛」を剃られてしまい、両眼を抉られ、牢獄で奴隷として粉挽きに従事させられることになってしまいました。

やがて再び毛が伸びた頃、ペリシテの領主達がダゴン神殿での宴会の見世物にサムソンを牢獄から連れ出すと、サムソンは主に祈って言った。

「わたしの神なる主よ。わたしを思い起こして下さい。神よ、今一度だけわたしに力を与え、ペリシテ人に対してわたしの二つの目の復讐を一気にさせてください。」

すると再び「主の力」が与えられ、サムソンは自分の命と引き換えにダゴン神殿の柱を引き倒し、生きている間よりも多くのペリシテ人の命を奪って復讐を果たすことができたのであった。と、こう士師サムソンの物語は締めくくられるわけなんです。

先週、ギデオンが精鋭300人によってミディアン人に勝利した!13万5千人を打ち殺した! と同様ですが、この「イスラエル人対異邦人」の構図を、私たちは受け継ぐことはできない。

16章にいたるまでの、サムソンの殺戮行為としか言いようがないペリシテ人への蛮行がある、なぞ解きを答えられた腹いせに三十人を打ち殺しています。

それで破綻したはずの妻を求めて、適わないと、結果として1千人を、ろばのあご骨で打ち殺しました。そして、今、ダゴン神殿で3千人の命を奪った。

あのダビデとペリシテ人ゴリアトとの戦いにおいて、ペリシテ軍が執拗なまでにイスラエルを罵倒する裏に、この殺戮の歴史が語り継がれていることを思うと、旧約聖書は、本当に深い人の罪の連鎖を私たちに知らしめるためにあると思わされるのです。

士師記、そして士師12人のメッセージは、第一に、神は必ず選んだ者を祝福してくださる。そのために完全なる助け手を送ってくださる、です。しかして、それは人間、人ではない。

それは、救い主イエス・キリスト、ただお一人であるというメッセージを受け取るために士師記、士師、ひいて言えば旧約聖書全体がある。

完全なる助け手は人ではない、選民イスラエルに代表される、どの民族が完全、どの国民が完全ということは絶対に無い、ということを証するために、士師記は最後の士師サムソンの、「神よ、私に復讐させ給え!」の祈りによる大勝利で終わるのではなく、この後、士師記が「イスラエル対ベニヤミン族」という同胞の血みどろの争いに落ち込んでいくわけです。

イスラエル人だから、何族だからといって完全完璧ではないことが明らかにするためです。

サムソンは確かにアブラハムからの祝福の人であり、ナジル人であり、信仰もあった。確かに神に祈った。しかし、最後の祈りは「復讐させ給え」。

キリストは「父よ、彼らをお赦しください」。ここに、旧約聖書から受け継ぐべき真の教えがあるわけです。

 

先週もアフガニスタンにおける戦争の悲惨さについて触れましたが、また残念なニュースは、やっぱり女性に教育を受けさせないようにする、職に貴賤無しとはいいますが要職から遠ざける、やっぱりだめだな…。さらに残念なニュース、アフガニスタンにおいて長年、医療、緑化、灌漑に身を献げられた中村 哲医師に感謝を表す壁画、肖像画が塗り潰され、その上にタリバンの独立を宣言する文字が書かれた。

ところが、ここから、深い学びを与えられることになりました。

その肖像画制作に関わった「アートローズ」という芸術団体の関係者が声明を出しました。「タリバンは中村という英雄を排除しようとしている」と批判した。これが9月6日、7日のニュースです。

私も全く同じ感情を覚えました。怒り、憤り、許し難いという感情です。

しかし、9月9日、中村医師の志を継いで、医療、灌漑の事業を支援するペシャワールの会、今も現地で活動するNGO「ピース・ジャパン・メディアカルサービス」が、別の考え方、現実の取り組みを発信したんです。

「我々は、タリバン側と協議し、山間部における診療所を再開させることができた。深刻な干ばつ被害にも見舞われているので、農場、用水路建設事業の再開も、理解を得た」というんですね。

さらに、中村医師の肖像が塗り潰されたことについて、「偶像崇拝を嫌うイスラムの文化からすれば違和感はない。中村哲の否定とも考えない」と発表したんです。

勿論、心情は面白くないと思いますよ。しかし、今、最優先にするべきは、人々が、子どもたちがキレイな水が飲めるようにすることであるし、診療所にはコロナ感染が疑わしい人が多く訪れるようになったとあるので、ワクチンの供給活動なわけです。

憎しみ、憎悪、負の連鎖は人の力では切れない。その結果は、いつも弱い人、子どもたちにしわ寄せが向かっていく。

「復讐をさせ給え」の祈りでは何も解決しない、むしろ、次の争いに発展する。サムエル記、列王記、歴代誌にある通り、争いは尽きないわけです。

しかし、「彼らをお赦しください」というキリストの祈りは、今、現実に、アフガニスタンの地で、文字通り「命の水」となって流れている。

 

私たちのキリストの教会もチャリティコンサートによってCOVAXに献げることができた、第2弾としてゴスペルチャリティコンサートを願っていたが延期となってしまった。

致し方ない、やるせない気持ちもある、ではどうする。

自らを献げられた主イエス・キリストを仰ぎ見、祈るならば、時必ずや、時は来る。その時にまた大いに献げることができる。

最後に、第Ⅱコリント5:17-19の御言葉によって主の御声を聞きましょう。

「:17 だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。

:18 これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。

:19 つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。」

人には誰でも怒りや憎しみの感情がある。しかし、自分自身、救い主キリストによって神と和解させていただき、永遠の命の祝福までいただいたものであるのだから、

感謝し、「和解の言葉」、聖書の言葉を委ねられた者として、礼拝をこの世に守り抜き、「和解のために奉仕する任務を授けられた者」として、

チャリティをはじめ、神の御心に適うあらゆる奉仕に仕えて参りたいと願います。

キリストを主と仰ぐ教会は、神愛、自愛、隣人愛によって必ず祝福される。この試練の時、主の祝福を信じて歩み続けましょう。ハレルヤ! 中島 聡牧師

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

筋萎縮性側索硬化症(ALS)とは、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく病気です。 しかし、筋肉そのものの病気ではなく、筋肉を動かし、かつ運動をつかさどる神経(運動ニューロン)だけが障害をうけます。