ルツ記4:11-17

エリメレクとナオミの夫婦と二人の息子がおりました。けれどもルツ記の物語の冒頭を見るならば、この家族の歩みは決して幸せとは言い難い所から始まります。飢饉によって国を離れ、モアブでエリメレクと二人の息子は亡くなってしまうのです。

ナオミとオルパ、ルツが残されました。ナオミは故郷であるベツレヘムに帰ることを決めます。オルパもルツも付いていくのですが、途中で説得されてオルパはモアブへ帰りました。けれどもルツの決意は固く、ベツレヘムまで同行することとなりました。

オルパのその後は私たちにはわかりませんが、確かに知りうるのは、従ったルツの方の歩みです。主なる神様に従う者には祝福が与えられる、と彼女の歩みからは知ることが出来ます。

けれども、主なる神様に従う道は平坦な道であるとは限りません。むしろ、その道を選ぶことには困難が伴うことがあります。ルツの歩みはまさにそのような道であったでしょう。ベツレヘムはルツにとっては見ず知らずの土地でしたが、それでも従うところに信仰があります。信仰とはまさに神さまに委ねることであり、神さまにお献げすること、献身の表れです。

ベツレヘムへ行ったルツと、ボアズの取り計らいはとても麗しい物語です。ボアズもまた主なる神さまを信じ、敬う人でありました。外国人であるルツにも、少しの偏見も無く接しました。

ボアズの行いは、律法に基づくものでした。「寄留者を虐げてはならない」(出エジプト23:9)との律法を、彼は正しく実践していたのです。そのような信仰姿勢はまさに新約的であり、福音的である、と示されます。

そのようなボアズの姿は、主イエスを指し示します。主イエスの到来は、私たち全人類にとっての真の祝福です。主イエスによって私たちは罪赦され、救われる者とされたからです。そのような祝福はまさに、神さまの愛のなせる業でした。

ガラテヤ書3:14にはこうあります。「アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり、また、わたしたちが、約束された“霊”を信仰によって受けるためでした。」

私たちに祝福をもたらす愛、それはご自分のひとり子すら惜しまずに与えてくださる無限の愛でした。ルツとボアズの間にオベドが生まれ、エッサイが生まれ、ダビデが生まれます。そしてその系図は、主イエスへと繋がっていくのです。まさにここに神さまの愛があり、祝福があり、摂理があります。

この真の愛と祝福は私たち一人一人に与えられている、あなたに与える、と聖書は約束をしています。神さまからの愛と祝福とを、心を開いて受け入れ、特別な恩寵の中に入れられていることを覚えつつ歩みを進めましょう。ハレルヤ! 片平貴宣牧師