神の力と人の力
約束を守らないファラオに対して、神さまは第三の災いをエジプトに下されました。神さまから言われたとおりにアロンが杖で土の塵を打ったところ、その土の塵はぶよに変わりました。そしてそれは、エジプト全土に広がって、人と家畜を襲ったのです。
エジプトの魔術師たちは、今までと同じように秘術を使ってアロンと同じようにぶよを出そうと試みました。けれども彼らにはできませんでした。そこで彼らはファラオに、「これは神の指の働きでございます」と告白したのです。彼らは、神さまの業としか言いようのない力が働いていることをファラオに告げたのです。ファラオに仕える魔術師たちは、神さまの御力に勝てるものはないことを告白し、自分たちの敗北を認めたのです。
今日では、これまでまさに神様の領域と考えていたところへ次々と人間の科学が挑戦して、人間の技術を実証して見せています。しかしながら不思議なことに、そこからいつも同時に、両極端の二つの声が聞こえてくるのです。ひとつは、「やはり神などいないのだ。人間はそのうちに何でもできるようになるであろう」という声と、もう一つは「やはり神のなさる業は神秘的で、偉大だ」という声です。
深く科学について学べば学ぶほど、「これは神の指の働きです」と認めざるを得ない領域に気づくことがあります。人間の到達できる領域はどんどん広がり、深まっていくと思いますが、決して神様に追いつくことはないでしょう。
この時の魔術師たちも、ちょうどそのような心境であったかも知れません。そして魔術師たちの力を打ち砕くために神さまが用いられたのは、恐ろしい猛獣や大きな怪物ではなく、小さなぶよでした。魔術師たちは、このような小さなぶよでさえも、自由にする力を持っていないことを告白したのです。
エジプトに下されたこのぶよの災いは、主なる神がまことの神であり、全知全能なお方であることをエジプトとイスラエルの民に、また私たちにも示されたのです。けれどもファラオの心は、魔術師たちが神の力を認めて、モーセとアロンに逆らうことを止めたにもかかわらず、さらに頑なになっていきました。彼は、魔術師たちの言葉を聞きながらも、また、自分の国民がこれほど苦しんでいるにもかかわらず、これが神の業であることを認めようとしませんでした。
しかし、これはファラオだけでなく、罪人である人間の姿でもあることを教えられます。私たち人間の傲慢さは、最後まで神に逆らい、全く力尽きてからようやく自分の無力さを知り、神だけがすべてのものの主であり、力の源であることを認めることはないでしょうか。
「魔術師はファラオに、『これは神の指の働きでございます』と言ったが、ファラオの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞かなかった。」(出エジプト記8:15)