映画の中の聖書<シーン62>

「フットルース」  1984年 米国

 フットルースはダンスと音楽をテーマにした青春映画です。1984年に続いて2014年にリメイクされ、その時の邦画のタイトルは「夢に向かって」でした。

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母親をガンで亡くした青年レン・マッコーミック(ケビン・ベーコン)は教会へ通っている叔父夫妻とシカゴから中西部の保守的なとある町へ 引っ越して来ました。しばらくするとレンはガール・フレンドとなった牧師の娘アリエル・ムーア(ロリ・シンガー)や他の友人たちからこの町ではダンスや大音響の音楽は町議会の決定で一切禁止されていることを知らされました。原因はこの町で影響力のあるムーア牧師がしばらく前にダンス・パーテイの帰途、交通事故でひとり息子を亡くしたことにあったのです。単純に楽しみたいという若者と道徳にこり固まった大人たちとの対立がこのような結果を産んだのでした。
レンは友人たちと一緒に町議会へ出かけて行き、踊りについての聖句

 「泣く時、笑う時、嘆く時、踊る時」(コヘレト3章4節)「踊りをささげて御名を賛美し、太鼓や竪琴を奏でてほめ歌をうたえ。」(詩篇1493節)を引用して決議の取り消しを求めたのです。これには町議会も勝てず、決議を取り下げて町では再びダンスが行われ、音楽が聞けるようになったのです。

15年前、母教団の年会に出席のためミネソタ州のミネアポリス市に行った際、旧知のW牧師に会ったのでコロラド州の都市で牧会している教会の様子を聞きましたところ、教会が“分裂”したとのことでした。教会の賛美を巡って意見の相違が原因だったのことです。年配者は今のままがいいと言うのに対して若年層はもっと新しいのを取り入れるべきだと主張しました。祈りと話し合いの末、別れるべきだとの結論に達したのです。「それで?」と聞きますと二つともそれぞれ成長しているとのことで珍しいケースだと思いました。

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映画の中の聖書<シーン61>

映画の中の聖書   < シーン 61 >

「わが谷は緑なりき  How Green was my Valley 1941年 米国

今日の作品は19世紀末のウェールズ地方の炭鉱を巡る変遷を描いた巨匠ジョン・フォード監督の「わが谷は緑なりき」です。

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炭鉱夫のモーガン家は、夫妻と5人の息子と娘一人の8人家族でしたが、作品は末っ子のヒュー(ロデイ・マクドウオール)の目を通して時の流れの中で移り変わる一家の姿を描き出して行きます。皆が食卓につくと父ギルム(ドナルド・クリスプ)が必ず祈りをささげるというクリスチャンの家庭で質素ながら平和な日々をおくっていました。兄たちも一日の労働が終わると、仲間と隊を組んで賛美歌467番の「われらを導く贖いの主よ」を歌いながら帰途について行きました。そのような中で乞われて炭鉱主の息子と結婚した姉のアンバード(モーリン・オハラ)は夢破れて離婚し、家に戻ってきますが、その頃、村の教会に赴任してきたグリュフィド牧師(ウオルター・ピジョン)に心を惹かれます。父と同じ炭鉱夫であった長男は事故死を遂げます。石炭産業の不況と合理化の中で仕事を失った二人の息子は新天新地のアメリカ行きを決意し、その旨を家族に告げます。「父さん、聖書を読んでくれませんか。}と頼むと父親は机にあった厚い聖書お開き「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。・・・主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。・・・」詩篇23篇を全部読み上げました。労働組合をめぐるトラブルから結成に反対した父は仲間から非難を浴びたため、やりこめるために出かけた母べス(セイラー・オールグッド)は帰りに凍った川に落ち、助けに行ったヒューもはまって足が凍傷にかかりました。二度と歩けなくなるかもしれないという医者の診断に気落ちした彼を励ましたのは牧師でした。癒されて進学したヒューは炭鉱の子ということで教師と生徒の双方らもいじめに会いますが、ボクシングを習って皆に一目おかせました。やがて首席で卒業し、医者か弁護士になるかとの父の願いに反し炭鉱で働くことを決心した矢先、落盤事故を告げる警笛が鳴りギルムは死亡したのです。ヒューは「父のような人は死なないでいつも記憶の中で生きている。わが谷は緑なりき。」と言います。

男性コーラスの美しい力強いハーモニーと、去りゆく息子たちのために主の導きと守りを願う父親の姿とは何とも言えない深い感動をおぼえました。、またヒューを激励した牧師の行動は自分が似たような状況にあるせいか心に残りました。

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映画の中の聖書<シーン60>

「エレファント・マン The Elephant Man1980年 米・英合作

マンションの郵便受けに入っている数枚のチラシの中にボリショイ・サーカスがあり、新横浜の駅前が開発される以前の空き地に木下サーカスがテントをはっていたことを思い出しました。サーカスを取り上げている作品はと思い巡らしているとありました。デイビッド・リンチ監督の「エレファント・マン」です。

エレファントマン写真

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妊娠4か月中に母親がアフリカで象に蹴られたのがもとで奇形児として誕生した主人公ジョン・メリック(ジョン・ハート)は、頭に袋を被されて19世紀終わりごろのロンドンの場末でしばしば持ち主のバイツ(フレデイ・ジョーンズ)に虐待されながら化け物扱いにされてサーカスの見せ物となりました。興味を持った外科医フレドリック・トリーブス(アンソニー・ホプキンス)が研究のため病院に連れて来て屋根裏の部屋に住まわせたのです。寮長や看護師たちは最初は驚きを隠しませんでしたが、徐々にジョンを受け入れていきます。外科医がジョンに挨拶の仕方を教えた後、訪ねてきた舞台女優のケンドール(アン・バンクロフト)を紹介するとジョンはていねいに「優しく接していただいて有難う」と返事をしました。カー・コム院長(ジョン・ギールグッド)にジョンを引き合わせてから部屋を出て外科医と院長が話をしているとき、部屋に残された主人公は、「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほりに伴い 魂を生き返らせて下さる。… 主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう。」詩篇23を暗唱して見せたのです。驚いた外科医は、院長に「私は教えていません」と言い、院長は「ただ暗記しているに過ぎんよ」とかわしますが、主人公は「詩篇23は好きです。美しいので。」と答え、人生で初めて彼が教養と豊かな感性の持ち主であることを明らかに示したのでした。実はジョンの幼い時、母親が聖書を読んで聞かせていたのです。評議会が彼を病院にずっと住まわせると決議をした後、悪党一味に連れ出されて再び見世物にされたのですが幸いにも連れ戻されました。ケンドールの公演にトリーブス夫妻と共に出かけた彼が彼女の呼びかけに応えた会衆から総立ちの拍手を受けたシーンは感動的でした。部屋の窓から教会の尖塔だけが見えていたのを彼は見ながら模型を完成させ、ジョン・メリックと署名をしてからベッドに入り、永久の眠りについたのです。

この詩編は欧米では病床で今際の状況や葬儀の際にも良く読まれるとのことでビートたけし出演の「戦場のメリークリスマス」でも使われていました。詩編23篇を今週(2015/7/19)の礼拝で深谷春男師のメッセージでお聞きしたばかりだったので、その意味を深く覚えさせられた次第です。この作品がモノクロで描写されたのは暗いテーマを描きだすのに適したと言えましょう。

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映画の中の聖書<シーン59>

「カラーパープル Color Purple 1985 年 米国」

20世紀の初めのジョージア州はある町の黒人家族の生活を40年にわたってカバーしたスピルバーグ監督の傑作と言っていい作品ですが、その内情はと言うと近親相姦あり、家庭内暴力あり、人身売買ありのすざましいもので道徳的、倫理的にはいただけるものではありません。しかし、そのような環境のなかでもひるまずに戦い、生き延びて行く女性たちの姿には胸を打つものがあります。

ピンクのコスモスが乱れ咲く美しい畑の中でセリー(成人してからはウーピー・ゴールドバーグ)

カラーパープル

映画チラシ大図鑑 より

とネテイ(アンシャ・ブシア)の仲の良い姉妹が遊ぶ光景からスタートしましたが、実はセリーは14才で父に犯されて二人の子供が出来たのに、ふたりとも赤ん坊のうちに父親に売り飛ばされてしまったのです。農場を経営する“ミスター”(ダニー・グローバー)の後妻になったセリーは夫にこき使われ、暴力を振るわれ、ネテイも身の危険を感じて姉の元に助けを求めて来たのですが、“ミスター”に狙われた彼女は死ぬまでに手紙を書くからと言い残して追いだされてしまいます。姉に届いた多くの手紙は彼によって床下に隠されて読まれることはなかったのでした。時は流れてネテイはアフリカに行き、宣教師のヘルパーとなって働き、売り飛ばされた姉セリーの二人の姉弟は成人していたのです。その一方で“ミスター”はブルース歌手のシャグ(マーガレット・エイブリ)に夢中になって家に連れてきてセリーに面倒をみさせていたのです。シャグは牧師の娘でしたが職業のゆえに勘当され、家出してシカゴなど各地を巡業していました。セリーが家を出た後で、父が死んで彼女と妹に家と土地を残していったのです。自分の家を持つことになったセリーは改造して酒場を開き、シャグもそこで歌っていました。
ある日曜の朝、シャグは楽団仲間とホームタウンのジュークボックスにいた時、教会からゴスペルグループの合唱が聞こえてきたのです。彼女は楽隊を引き連れて歌いながら教会に向かい、中へと入って行きました。その日はルカの福音書15章から彼女の父親である牧師が「放蕩息子」の説教をしていたのです。戸惑っていた聖歌隊はやがて彼女の一行と一体となってゴスペルの大合唱になりました。シャグは歩みより父親の肩を抱き、「お父さん、罪人でも魂を持っているのよ。」と囁いて悔い改め、二人は和解したのです。やがてアフリカからネテイとセリーの成人した子供たち帰ってきて一行は涙と喜びにうちに再会を果たしたのでした。出来すぎと思われることもあるでしょうが、多くの苦しみと流された涙を思う時に、ハッピーエンドであったことは良かったと言えるのではないでしょうか。
知り合いの牧師に聞いた話ですが、35年間教会を離れていた男性が「戻ってきませんか。」の一言で帰ってきて一同は喜び神に感謝の祈りを捧げたとのことです。

ところでカラーパープルとはどういう意味ですかと言うことで、色彩心理学などから諸説があるようですが「紫色の有色人種」を指しているのではないかとされているようです。

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映画の中の聖書<シーン58>

プレイス イン ザ ハート」 Places in the Heart 1985年 米国

つい最近、米国の各地で黒人が白人の警察官に射殺されるという事件が起き、人種差別だと騒動が発生し、ボルチモアでは不測の事態を警戒した結果、MLB(メジャーリーグ)の野球のゲームが無観客試合になるという事態を招きました。

教会から賛美歌が聞こえてくるシーンで始まるこの映画は、黒人の少年による白人の保安官の誤射殺人へと展開していきます。

プレイス イン ザ ハート

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1935年テキサス州ワクサハチの朝、保安官のロイス(レイ・ベイカー)は神に祈りをささげて家族と朝食をとっていると、同僚から酒に酔った黒人少年が線路で銃を乱射しているから来てくれと呼びだされました。現場に行くと突然、少年が誤射してロイスは死亡します。妻のエドナ(サリー・フィールド)は気が動転して口が利けません。黒人の少年はK.K.K(クウ クラックスクラン 黒人・外国人を排斥する白人の秘密結社)の団員により縛り首にされ、ロープで彼女のもとへ曳いてこられたのですが、彼女には憎しみはなく、あるのは悲しみだけでした。彼女の銀行の預金高は少なく、数か月後に銀行に返済する義務があったのです。葬儀が済むと銀行から家を売って借金をゼロにし、子供たちを親類に預けて働いたらとの勧めが来ましたが、それは出来ないとエドナは断りました。

数日後、流れ者の黒人モーゼス(ダニー・グローバー)がやってきて仕事をくれといってきたのですが、断ったのです。その夜、銀器を盗んだため逮捕されたモーゼスが保安官に伴われてやってきたのですが、彼女は「あげたものです。」と言って彼を助けました。この光景は「レ・ミゼラブル」の司祭とジャンバル・ジャンのエピソードを思い出させてくれます。

まもなく銀行家がたずねてきて椅子造りをする盲目の弟ウィル(ジョン・マルコヴィツチ)を下宿人にしてくれとおっつけていきます。エドナとモーゼスとウィルの三人はテキサス特有の大竜巻のため町が甚大な被害を蒙った中で懸命に綿花つくりに励み、収穫をあげていきました。

ある夜、モーゼスとウィルをK.K.Kの仲間が襲いましたがなんとか撃退しました。モーゼスはやがて町を出て行きますが「あなたは最高の綿つみだったことを忘れないで。」とエドナは声をかけました。

殺人、取り立て、過酷な綿花の収穫、K.K.K.による暴力が相次いで町で起きてくる中で、最後に再び教会が写され、牧師が講壇からたんたんと「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛はコリント第一13を読み上げる中、聖歌隊が{祈りの園生」を賛美するなかで聖餐式が行われ、パンと葡萄酒が配られる手元の様子についで、やがてパンしたカメラが集っている会衆を映し出した時、信じられないような光景が展開したのです。なんと保安官と彼を誤射して死なせた黒人少年、夫を失った女主人公のもとで働いた黒人とウィルを襲ったK.K.Kのメンバーなど関係者一同の顔がそこにあったのです。まさに天的な「聖徒の交わり」(Communion of the Saints. Communionは聖餐式を意味する)を思わせる姿でした。

今まで取り上げた作品の中で「サウンド オブ ミュージック」の次に、ひとりひとりの心の中にある場所を意味する「プレイス イン ザ ハート」は、生涯忘れられないものとなりました。

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映画の中の聖書<シーン57>

「バガー・ヴァンスの伝説 The Legend of Bagger Vance 」 2000 米国

今月上旬にオーガスタで行われたゴルフのマスターズ・トーナメントで日本からただひとり参加した松山英樹選手が通算11アンダーで5位に入賞するという好成績を挙げたことは記憶に新しい。

 5年 前、当時アトランタに駐在していた次男一家を訪ねた際、地元の教会で奉仕されていた武田牧師夫妻のお誘いを受けてジョージア・サウス・カロライナ両州の5つの都市の家庭集会を回ることになった。最初によるところはオーガスタだったのでマスターズ・トーナメントのゴルフ場が見られるかなと思ったところ先方の都合でキャンセルとなってしまい、願いは果たせなかった。1週間後に次男の車で大西洋に面した港町サウス・カロライナのサヴァンナを訪れたが、そこが今日取り上げたゴルフ映画「バガー・ヴァンスの伝説」の舞台となっていたことを後になって知った。

16才で州のチャンピオンになったこともある天才ゴルファーの主人公ラナル・ジュナ(マット・デイモン)は、第一次大戦の戦場で輝かしい活躍を見せたものの戦友のほとんどが戦死したためショックを受けて帰還した後は、酒浸りの毎日を送っていた。ガールフレンドのアデール(シャーリズ・セロン)で富豪の父親が財産を投げうって作らせたゴルフ場に数多くタイトルを持つふたりのゴルフ・チャンピオン、ウオルター・ヘーゲン(ブルース・マッギル)とボビー・ジョーンズ(ジョエル・グリッチ)を呼んでチャリテイ・トーナメントを開催することになった。地元からも代表をという要望に対し近所の少年ハーデイ(マイケル・モンクリーフ)が「ジュナを!」と声をあげたことがきっかけになって彼に誘いがかかった。「魂のスイング」を失ったことからいったんは辞退するが、たっ Amazon.comよりての願いで彼は気を取り直し、暗闇の中で打ちっぱなしを始めた。そこへどこからともなくバガー・ヴァンス(ウィル・スミス)と名乗る男が現れ、「キャデイにして欲しい。報酬は5ドルでいい。」と申し出た。ヴァンスはジュナにクラブの選択からコースの地形の読みさらにはボールの打ち方まで示唆する。トーナメントが始まり、三者三様のプレイをして詰めかけた大勢のギャラリーを楽しませた。三者イーブンで最終ホールを迎え、ボビーとウオルターは先にホール・アウトした。最後に順番が来てジュナがボールを動かしたかに見えた。「動いていないだろう」「気のせいじゃないか」という周囲の声にもかかわらず、したと正直に申告してペナルテイを課せられた。この時、ヴァンスは「俺の役目は終わったので失礼する。」と言い謝礼の5ドルとジュナの履き古した靴一足をもらって去っていった。彼が打った最後のボールはバウンドしてカップに吸い込まれホール・イン・ワンとなり、三者イーブンの引き分けに終わった。会場から聞こえてきた大歓声を遠く耳にしながら海辺をジャンプするヴァンスの姿があった。

この作品は単なるゴルフ映画以上の意味を持っている。人生で直面する失望や悩みや苦しみや悲しみの際、自分一人では立ち向かいえないことを誰しもが経験するのではないだろうか。そうした時に助言をし、慰めを与える役割を果たしてくれる信頼できるバガー・ヴァンスのような友人がいるならどんなにか幸いであろうか。聖書は霊的で信頼のおけるガイドとして聖霊がおられると告げる。聖霊の別名はパラクレートス(そばにいて慰めてくれる方)で、「真理の霊が来るとあなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」(ヨハネ16::13)働きをされる。信じるとき、霊的なガイド、神秘的な恩恵がすべての人々に与えられることを覚えておきたい。人生でも正しいスタンスや的確なグリップが必要なことを教えてくれているのがこの映画のもう一つの教訓と言える。

(注:前回の「天使にラブソングを」の最後に詩篇147篇1節「ハレルヤ。新しい歌を主に向かって歌え。主の慈しみに生きる人の集いで賛美の歌を歌え。」を追加するのを忘れていました)。

 

 

 

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映画の中の聖書<シーン56>

「天使にラブ・ソングを  Sister  Act  1992年 米国」

天使にラブソングを

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 古い話で恐縮ですが、今から50年ほど前の1960年代にシカゴにある学生総数1,500名ほどのクリスチャン・カレッジに留学していた頃、夕拝後に友人から「黒人教会の賛美集会に行かないか」と誘われたのです。なんと開始時間は午後11時からとのこと。車に乗せてもらって市の南部にあるペンテコステ系の教会に行くと遅い時間にもかかわらず200名ほどの会衆が集っていました。2台のグランドピアノが弾けるようなテンポで演奏する中で講壇背後の席では50名ほどの男女の聖歌隊が首を振り、体をゆすり、足踏みをしながらパワー全開で伝統的な賛美歌に加えて黒人霊歌を歌いまくりました。そのボリュームと美しいハーモニーには圧倒されました。はじめは静かに聞いていた会衆もやがて一人立ち二人立ちしてクラッピング(手拍子)をしながら「エーメン」「ハレルヤ」「オー・ジーザス」と合いの手を入れて加わり、そのうちに全員が立ち上がって賛美し、興奮して卒倒した人々を白のユニフォームでグリーンのタイをした係員が担架で運びだす有様で、牧師の短い説教の後、もうひとしきり歌ってから、お互いの両手を握り、公民権運動のテーマ・ソングとなったWe  shall  overcome(賛美歌21 471番)を全員で合唱して終わりました。終夜営業のマクドナルドによってマックを食べて帰宅した時には午前2時近くになっていました。

前置きが長くなりましたが「天使にラブ・ソングを」は、クラブ歌手のデロリス(ウーピー・ゴールドバーグ)が起こした騒動を描いたコメデイです。ネバダ州リノのクラブで働いていた彼女は殺人現場を目撃したことから追われる身となりました。重要参考人として警察に保護された彼女は裁判の日まで聖キャサリン修道院に匿われることになります。シスターでないのにも拘わらずシスターとして振る舞うことを余儀なくされたのでした。原題のSister  Actはここからきています。退屈な日々とまずい食事とよそよそしいシスターたちそれに手厳しい院長のもとでの生活でデロリスはいささか参っていました。ところが思いがけない転機が訪れてきたのです。下手な聖歌隊のソング・リーダーに任命されると本領を発揮した彼女はメンバーを鍛え上げ、賛美歌をゴスペル・ソング風にアレンジして派手なパフォーマンスをするようになり、保守的な院長やシスターたちと対立することはあっても成果をあげ、町中の人気者となっていきます。ローマ法王を迎えてのコンサートの前日、デロリスはつけ狙っていた男たちにさらわれてしまうのですが乗り込んでいった仲間たちによって救出され、見違えるほど上達したシスターたちによるコンサートも大成功をおさめたのです。O happy day をはじめとして歌われた数曲はいずれもゴスペル・ソングの真髄とも言うべき素晴らしいものでした。

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映画の中の聖書<シーン55>

「塩狩峠 Shiokari Pass  1973年 日本」

一昨年の6月、新宿の早稲田奉仕園内のスコット・ホールで行われた滞米40年の奉仕をされた後、引退されたジョージア州アトランタのウェストミンスター日本人長老教会武田恒義/・牧美牧師ご夫妻の集いに教会

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の友人と出席した際、三浦綾子さんの初代秘書をされた宮島裕子さんがあかしと賛美をしてくださいました。帰りがけに販売された著書「神さまに用いられた人 三浦綾子」を読んで名作「塩狩峠」が誕生するいきさつを知ることができました。要約して紹介しましょう。

綾子さんが出席されていた北海道旭川市の日本キリスト教団六条教会(川谷牧師)で修養会が開かれた際、綾子さんが出席した分団に新しく来られた藤原栄吉という方が見えていました。後日、藤原さんから川和牧師に手紙が届き、「三浦綾子という婦人は、私の述べる意見にいちいち批判を加え、反対意見をのべました。今後二度と同席はご免こうむります。」と記されていたのです。牧師に手紙を見せられた綾子さんは「私は語調がきつくて、これまでにも人を傷つけました。」と言って藤原さん宅にお詫びに行ったのですが家に入れてもらえず、詫び続ける綾子さんはやっとの思いで部屋に入ることを許されたところ、机の上に置かれている原稿用紙が目に留まり、聞いたところ「長野政雄さんのことを今の中に記録しておこうと今書いているのです。」藤原さんはモデルの長野政雄の直属の部下だったのです。このことを聞いた綾子さんは「所属する教会に、こんな素晴らしい先輩がいたのだ。」と感動し、後に藤原さんから資料をお借りし「塩狩峠」が記されたのです。(49~50ページ)

 

 永野信夫(中野誠也)は、父・貞行(武内 亨)と母・菊(岩崎加根子)の長男として東京で生を受けました。キリスト教徒であった母は祖母・トセ(村瀬幸子)に疎まれ、実家を追い出されて離婚はしませんでしたが別宅に住み、信夫は母は死んだと聞かされていたのです。トセの死後、母は呼びもどされました。小学校4年の時、信夫は同級の吉川(長谷川哲夫)と気が合った友人となりました。吉川には足の持病のため寝たきりのクリスチャンの妹ふじ子(佐藤オリエ)がいたのです。吉川の誘いに応じ、明治32年春、札幌の炭鉱鉄道に就職しましたが、仕事のかたわら、永野は日曜学校で教え、子供たちと一緒に賛美歌を歌っていました。彼女の明るさに心を惹かれた信夫は聖書を熱心に読み始めたり、伝道師の路傍伝道の説教に耳を傾けたりしていたのです。やがて旭川に移るのですが、信夫は歩けるようになったふじ子と結婚することになりました。

 

1909年2月28日結婚式のため、信夫は同僚たちと名寄発札幌行きの蒸気機関車の二両編成の列車に乗りました。鉄道職員の信夫にとっては特別な日でしたが塩狩峠を喘ぎながら登っていく最後尾の客車の連結器が突然

外れ、逆走し始めたのです。状況を察知した乗客はパニックに襲われ騒ぎだしました。直線の先のカーブはとても曲がり切れないことは明らかでした。信夫はデッキに出てハンドブレーキを力一杯締めつけたため速度は緩み、徐行程度に落ちましたが、信夫はその反動で身体の重心を失いもんどりうって線路上に落ち、客車の下敷きとなっていのちを落としたのです。客車は完全に停止し、乗客は全員無事でした。家にいた花嫁となるはずだったふじ子は同時刻に「ドスンという大きな音を聞きました。」とのべています。あとで見つかった信夫が常に所持していた遺言書には[共生 共死 均しく感謝。余はすべて感謝してすべてを神に捧ぐ。]と記されていたとのこと。

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない、。」(ヨハネ15章13節)

渋谷の名画座のひとつシネマ ヴェーラで鑑賞したのですが座席は満席で見終わった観客は静かに引き上げていきました。

 

今から15年ほど前、海外旅行で溜まったマイレージでどこかへ行こうかと妻と話し合ったところ、行ったことのない北海道へと言うことになり、旭川から
足を伸ばして塩狩峠を訪れることにしました。札幌のホテルにチェックインした後、タクシーで現地を訪れ、長野正雄氏の殉職記念碑をバックに運転手さんに写真を撮って貰ってから、しばし事故当時の状況に思いを馳せ、それから、小高い丘に復元されていた三浦夫妻が商いをしていた雑貨店前のベンチで休憩をとり、そのあと開館して間もない三浦綾子記念文芸館に立ち寄ってから帰京しました。

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映画の中の聖書<シーン54>

「アルマゲドン Armageddon  1998年 米国」

アルマゲドンは新約聖書ヨハネの黙示録16章16節に一度だけ出てくる語で へブル語で「ハル(山)+メギド」メギドの山の意でイスラエルの北方にある エスドラエロン平原にあり、旧約時代にはしばしば戦場となった場所で、神とサタンの勢力との最終的決戦の場を象徴していると言われています。

2010年9月初旬にテキサス州と同じ大きさの巨大なアステロイド(小惑星)が時速35,000キロの

アルマゲドン

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スピードで地球に接近していたのです。衝突すれば60億の人口を持つ地球は全滅することが、米国航空宇宙局(NASA)の探査で判明したとき、地球最後の日を避けるために残された道はただひとつ、小惑星の地下深くで核爆発を起こしてその軌道を変えることにありました。大統領命令を受けてこのミッションのために選ばれたのは6人の宇宙飛行士と8人の石油採掘のプロフェッショナルたちでした。NASAの長官(ビリー・ボブ・ソーソトン)は、後者の8人を呼び寄せ、2週間ほどの特訓ののち、自分たちのグループだけでいくという石油掘削の隊長ハリー・スタンパー(ブルース・ウィリス)の主張を受け入れ、2機の探査機(うち一台には削岩機を搭載)で出発しましたが、途中で削岩機を積んだ探査機が姿を消してしまった上、到着した個所は硬い場所で掘削には困難が予想されてい のです。爆破の場所を変更したところへもう一機が戻ってきたのです。リモコンが故障したため遠隔操作が不可能になりました。だれかが一人残ってボタンをおすことになり、くじ引きの結果、A.J.フロスト(ベン・アフレック)が行くことになったのですが彼には恋人でハリーの娘グレース(リブ・タイラー)いたのです。探査機からエレベーターで降りる際、ハリーは「おれも行く」と乗り込み、地表に着くや否やベンを押し込み、彼だけが「身代わり」になって残り、地上の娘に「I love you」のメッセージを残し、探査機が小惑星から離れたのを見た後、ボタンを押して爆破を行い、犠牲となりました。こうして地球の危機は回避されたのです。地上に無事生還した一行はヒーローとなり、グレースとフロストは結婚式を挙げたのでした。

荒くれ男たちの苦闘物語の背後にある人類愛、父性愛とともに「全世界の罪を償ういけにえ」(Ⅰヨハネ2・2)として父なる神がイエス・キリストにある犠牲的な愛を示されたことに深い感動を覚えさせられた作品でした。

2012年7月23日、NASAの発表によると地球は猛烈な太陽の嵐によるニアミスを免れたとのことです。嵐はその代りにステレオ宇宙船に当たって破壊したとのことです。もし一週間早く起きていたらX線や放射能は光速で、地球を襲い、電気に関する器物を破壊し、近代文明を18世紀にまで押し戻していたであろうとのことです。こうした災害が起きないようにと祈る者です。

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映画の中の聖書<シーン53>

「天使の贈りもの The Preacher’s Wife 1996年 米国」

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30年ほど前、教会の夏季キャンプの帰途、清涼飲料水のサービスがあると聞いたので、某酒造メーカーの工場に立ち寄りました。ウィスキーの樽の前で説明がガイドによってなされたのを聞いていると熟成とともに蒸発する分があり、その分を「天使の分け前 Angel’s share」と呼んでいるとのことでした。

「天使の贈りもの」の原題は直訳すると「説教者の妻」となりますが「牧師夫人」のほうが分かりやすいでしょう。洋画の中には聖職者(牧師・神父)を主役にしたものが結構あるのですが、牧師の妻ジュリア(ホイットニー・ヒューストン)が登場するのは珍しいと言えます。

荒れ果てた市街地にある聖マタイ教会の牧師ヘンリー・ビックス(コートニー・ヴァンス)は、説教の他に貧しい人たちを訪問したり、給食提供をしたりして一生懸命に教会の奉仕をしていますが、いささかワーク・ホリック気味で、夫婦関係もしっくりいっていません。保護観察の少年への対応を依頼されるのですが、それにも身が入りません。そこへもってきて、教会のボイラーの故障に見舞われます。さらに不動産業者をしている役員ジョー・ハミルトン(グレゴリー・ハインズ)の動きが気になります。彼は教会の現住地を処分してショッピング・センターにし、ヘンリーを移転先の新会堂の牧師にとするという計画を目論んでいるからです。
そのような状況のもとにあるヘンリーが神に助けをもとめて祈ったところへ、人間に扮した天使ダドリー(デンゼル・ワシントン)が“天から”訪れてきます。実は彼は天使ではなく、30年前に死んだ男の仮の姿であったのです。ダドリーは素晴しい美声の持ち主であるジュリアに心を惹かれ、彼女もまた夫を愛しながらもダドリーの優しさに揺れる思いを抱き、ヘンリーも嫉妬心に苦しむのですが、それを知った教会の聖歌隊員であるジュリアの母親から注意されました。
ダドリーはヘンリーに、話し相手の目を見て対応するようにとかさまざまな助言をしていくうちに、牧師本人もメッセージも夫婦関係も教会を巡る状態もみな良い方向へ変えられてハッピー・エンドとなったのです。「世界の歌姫」と言われたヒューストンは数曲を歌うのですが、聖歌隊とのゴスペルの合唱は圧巻です。
最後のクリスマス礼拝での心打つヘンリーのメッセージとジュリアの指揮による聖歌隊のコーラスは集った会衆を感動させました。そして役目を果たしたダドリーはヘンリーとジュリアの息子エレミヤと握手をして静かに去っていきました。

作品にはイエスに対する祈り、賛美がなされ、暴力や非道徳シーンもなく大人も子供も安心して鑑賞できるホーム・ドラマ的コメデイと言えます。
(注:転倒事故による長期の入院とリハビリのため中断したことをお詫びします。)

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