みことばの糧 1179

2023年12月23日

『メリークリスマス!』

ルカによる福音書2章8節~20節 新約聖書p.103

クリスマスおめでとうございます! 主の年、2023年と呼ぶことができるのは、このクリスマスあってのことです。神の御子、イエス・キリストが私たちの救いのために、この世にお生まれになったと信じる信仰によるものです。主の御名を誉め讃え、御言葉を通して、今年も降誕の出来事、私たちの信仰のはじまりをたどって参りましょう。みなさん、ハレルヤ!

マリアとヨセフは、それぞれに天使の御告げを信仰によって受け入れて夫婦となり、救い主の両親となる人生を歩み出しました。ヨセフは住民登録のため身重のマリアと共にベツレヘムに向かいますが、そこで「初子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」とあります。
二人は宿屋に泊まることができず、また、家族親族をはじめ、誰も身重のマリアを迎えてくれなかった大変な状況だったことが分かります。
まさに、ヨハネ福音書1章5節。「光は暗闇の中で輝いている。」確かに、二人の状況は暗闇です。暗澹たる思い、絶望してしまいそうな状況です。しかし、御子の降誕を告げる星はなおも光輝き、また、幼な子自らが光としてマリアとヨセフの心を照らしていたのだと思います。
ここが大切ですね。一人の赤子を見て、それを光と信じる心。心に刻んで参りたいと願います。
天使は、この光、救い主降誕の喜びを、先ず羊飼いに告げ知らせました。彼らは「野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をして」いました。こちらも住民登録にすら含まれない大変な状況に生きている人たちです。
わたしたちの国にも、戸籍の無い人がいます。どんなにか大変な状況であろうか、想像できないぐらいです。
羊飼いの置かれていた状況は、過酷なものであったと思われます。であるからこそ、神が救い主の誕生を真っ先に告げられたのが羊飼いたちであったと示されるのです。これも大切な点ですね。クリスマスがなんためであったのか教えられるものであります。
天使は告げました。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
すごいことです! 救い主がお生まれになった! しかし!飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子がそうだ、というんですね。その子は家畜小屋にいるというのです。耳を疑いますね。すごい落差ですね。 

しかし、この天使の御告げを聞いた羊飼いたちは、本当に乳飲み子を探しに行くんですね。みなさん、自分だったら、探しに行くでしょうか?
まさか、羊飼いたちは、救い主の預言を耳にしたことがあったのでしょうか?
イザヤ書7:14「それゆえ、わたしの主が御自ら、あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」
東の国の博士らが、ヘロデ王のところに来て、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか? わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」と尋ねましたが、勿論、ヘロデ王は分かりません。
そこで、ヘロデは、民の祭司長や、律法学者たちを皆、集めて、メシアはどこに生まれることになっているのか? と問いただした、とあります。すると法学者たちは、「ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で、決して一番小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。」と答えます。
これは、旧約小預言書、ミカ書5:1「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者。
お前の中から、わたしのためにイスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。」という預言に基づくものです。律法学者たちも調べなければ分からなかったと思います。
およそ700年前の預言です。羊飼いたちが知っていたとは思えませんが、しかし、分からないですね、案外、口伝で言い伝えられていたかもしれません。
彼らは「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか。」と、天使の御告げを主の招きと信じて、「乳飲み子を探し当てた」のでした。
すごいと思うんです。私たちは、乳飲み子を探すでしょうか。いくら救い主と言われても、家畜小屋で生まれた赤ちゃんです。

しかし、この出来事こそが、天の大軍が「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」と賛美した、神の御心の成就の始まりであったのです。
今、私たちは平和の尊さ、大切さを痛切に突きつけられていますね。やっとコロナがおさまってきたと思ったら、次は戦争です。イエス様は、「平和を実現する人々は幸いである。」(マタイ5:9)と言われました。
口語訳では「平和を作りだす人たち」とあります。クリスマス、たとえどのような状況であったとしても、救い主はこの世にお生まれになったのだ、という信仰によって、この福音、この恵みを宣べ伝える者でありましょう。
この福音は真実です。先週、ある姉妹の訪問祈祷に行かせていただきました。自由な生活ができているわけではありません。しかし、一緒にゴスペル、「主を仰ぎ見て」を賛美しはじめますと、しっかり、賛美され、喜びをあらわにされました。
歌い終わるや、先生は大丈夫ですか? 一瞬、私のことか、と思いましたが、これは、ゴスペル講師が足を骨折されたことを案じての言葉だったんです。
そして、実花子と三人、しっかり手を握り合って、皆の健康のために、皆の信仰が守られますようにとお祈りをいたしました。たとえ、自らは不自由さを覚える身なれど、皆のために祈る、主を賛美する、信仰の力ですね。

同じ週、別の姉妹の訪問聖餐式に行かせていただきました。重い容態です。ちょうど、マッサージを受けられて、寝入っているところでした。ですが、N子さんが「清水ヶ丘教会の中島牧師と実花子さんですよ」と声を掛けると、まず「申し訳ありませんね」と、こちらへの感謝を発せられたんです。
そして、「山路越えて」の賛美にしっかり反応されて、聖餐式、御自身は食することができない、ほんの一滴、ぶどうジュースを、N子さんの小指に浸して、唇にしめらせるだけです。しかし、しっかり、感謝の応答をされたのです。
重い容態の中、共に祈り、賛美、聖餐の恵みに、アーメンと言われたのです。 どこが痛い、なにが辛い、どうしてこんな状態なのか、と言ってもおかしくありません。 信仰は真実です。
私たちは、今、この御堂で礼拝を守ることができています。神の家族が共に礼拝を守ることができる。なんという恵みでしょうか。

今日、三人の方々が、主の御救いの洗礼に与ります。なんという幸いでしょうか。白百合光の子幼稚園、子どもの教会、キッズゴスペル、礼拝、ホーリネスの群れのバイブルキャンプ、それらの奉仕者のお一人お一人、すべてに感謝したいと思います。
信仰は繋がれていくのです。今こそ、私たちは、クリスマスの出来事、その意味を心に刻み、信仰によって、乳飲み子を見つけ出し、高らかに主を賛美して参りましょう。主の御救いの福音を宣べ伝えて参りましょう。
そして、平和があるようにとの神の御心の実現に仕えて参りましょう。

ハレルヤ!  中島 聡牧師